原文:心性を認得する時、不可思議と説く可し;了々として得る可き無く、得る時は知と説かず。
解釈:修行を通じて心を明らかに悟り、自らの本来の心性を認得した時、初めてこの心性が真に不可思議なることを知る。衆生が如何に識心意識を用い、情解思量を尽くしても、これを思量し得ず、その体性はかくも微細にして知り難きものである。自らの心性を認得したとはいえ、この心性は了々として得る可きものにあらず。これは自らが本来具える家宝、古くからの家宝であり、因縁具足の時に掘り起こされるもの、外より得るにあらず、他者より与えられるものにあらず。これを認得した時といえども、その全ての体性を了知したとは説けず、ただ総相を知るに過ぎない。その他の更に多く深遠なる体性は、今後の修道過程において徐々に探求し掘り起こし、最終的に一切種智を獲得して仏道を円満せしむるのである。
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