本質境は、すべての如来蔵がそれぞれ四大種子を出力し、共通の四大を形成し、すべての如来蔵が共同でこの四大を用いて造り出した宇宙器世間と六塵境界であり、如来蔵のみがこれを縁として見ることができる。この部分の相分は最も実在的な相分である。
帯質境は、単一の如来蔵が本質境を縁とした後、本質境の四大微粒子を吸収して顕現させた六塵境界であり、鏡の中の像のように、本質境中の四大微粒子を帯びつつも本質境とは大きく異なり、本質境と比較すればより虚妄的である。この部分の相分は、如来蔵が本質境に触れる刹那に相似相分を変起し始めてから、五根あるいは五勝義根に入る前までの相分を含む。
これらの相分は伝導過程において、四大微粒子は中間媒体による濾過と吸収を受け、四大微粒子は絶えず濾過されていくため、帯質境の相分はますます微細となり、本質境との差異はますます大きくなるが、本質境との関連性は依然として比較的大きく、相貌も比較的類似している。この部分の相分は、如来蔵が能見・能縁できるほか、意根も如来蔵に随って能見・能縁できる。
意根は勝義根に入る前の帯質境を能縁・能見するため、帯質境に対して一定の了別性を持ち、帯質境のおおよその性質と意義を相応に知ることができ、五遍行心所法が現前して活動するようになる。自身の安危に関わる帯質境に対しては、迅速な抉択力が生じる。この抉択を如来蔵が知ると、帯質境が勝義根に入って性境を形成する際、六根が六塵に触れる時に、非常に迅速に六識が出生して対応し、反応は極めて迅速であり、意識による分析・思惟・推論・判断の機会はない。意識と五識は意根の配分と命令に従えばよく、自ら判断する必要なく反応・対応し、その後になって初めて思惟・分析・推理・判断を起こし、自らが何をしたか、何が起こったかを知るのである。これが意根が突発事態に迅速に対応する理由である。
性境とは、帯質境が五浮塵根を通って勝義根に入る際、勝義根の中に顕現する六塵境界であり、性境と呼ばれ、帯質境に類似しているが、帯質境とは一定の差異がある。帯質境は伝導過程において五根による濾過を受け、四大微粒子は一定の変化を起こす可能性があり、それにより性境はさらに微細となり、より不実で虚妄的となる。
独影境は、性境とは大きく異なり、帯質境との差異はさらに大きく、本質境との差異は非常に大きい。これは意根の攀縁によって引き起こされ、無から有を生じ、意識が意根の妄想を処理・完成させ、細部を描画・添加し、非量の想像を運用してより繊細な妄想機能を発揮し、境界を生き生きと妄想することさえ可能である。この部分には五識は参与できず、完全に意識が意根に配合して完成させる。この時の意識は独頭意識と呼ばれ、単独で妄想作業を行い、情景を勾画する。
外六入・外六塵とは、勝義根の外にあり、まだ勝義根に入っていない六塵相分を指し、おそらく帯質境を指すものであり、意根によって縁とされ、六識は縁とすることができず、ましてや見ることはできない。六識が了別できないものは内相分に属さず、勝義根の外にある六塵と見なされ、外六塵と呼ばれる。
内六塵とは、勝義根の中の性境を指し、意根が能縁・能見できるだけでなく、六識も能縁・能見できる。もちろん第八識はさらに能縁・能見できる。一切の法はどの段階の法であれ、すべて第八識如来蔵が顕現し執持するものであり、如来蔵は当然能縁・能見できる。そうでなければ、いかなる法も出生・存在することはない。
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