菩薩にはさまざまな段階があります。まず、我見を断していない菩薩は、衆生を離れようとしても不可能です。三縛結によって縛されているため、三悪道を免れず、三悪道の衆生と分離できません。再び人界や天界に戻っても、人天の衆生と分離できないのです。我見と三縛結を断した後に地前となる菩薩は、どこに行っても衆生と共にいて、衆生を離れられません。地後の菩薩は十无尽願を発したため、願力によって牽制され、無余涅槃に入れ不可能です。そのため、必ず衆生と共にいる必要があります。
重要なのは、各段階の菩薩がどのような衆生と共にいるべきか、この問題を必ず把握する必要です。菩薩が願を発する際、どの願を発するのが自身に適切かを考慮清楚し、未来の悔を免れる必要があります。
各菩薩の第一任務は、必ず三縛結を断除する必要であり、真実に断除し、余結を留めないことです。その後、衆生を度することを談得でき、相応的な衆生を随緣的に選択できるのです。
娑婆世界で衆生を度する願を発し、地球で衆生を度する願を発し、地球や娑婆世界を離れないでも、自身の三縛結が断除されていない場合、命終には結縛によって三悪道に行きます。明らかに衆生を度する願を発したでも、自身が度できず、他の菩薩に度される必要があるのです。どうして衆生を度することを談えるのか?
仏を学ぶでも、善を行するでも、願を発するなど、全てのことには相応的な智慧が必要です。一腔の热血や一冲动によって想做すること就做することは不可能です。后果を不考虑是不行的のです。
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