衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月04日    火曜日     第3開示 合計1577開示

合格な佛陀の弟子になる

学校において、合格した学生とは、必ず徳・知・体が全面的に発達した三好学生です。仏教において、仏陀の良い弟子とは、戒・定・慧が全面的に発達し六度を具足した仏弟子であり、才能と心性が完璧に結びついた修行者でなければなりません。徳と才を兼ね備えた人は非常に得難い人材であり、きわめて稀です。もし何らかの能力しかなく、心性が善くなく調柔でなければ、そのような人は重用できません。心性が善良で能力が不足しているなら、なんとか使うこともでき、育てることもできます。しかし能力も心性も駄目なら、断じて使ってはなりません。

心性は無我の上に現れます。断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)する前には、我性の重い人もいれば、我性の軽い人もいます。我性の軽い人はもちろん、我性の重い人より断我見しやすく、証果しやすいものです。常に他人を支配しようとする人は、我性の重い人です。人に管理されたくない人、指導者に服従したくない人も、我性の重い人であり、心性が調和せず、すべて我慢心(我の心)が祟っているのです。

我性の軽い人は、比較的気ままで、比較的穏やかで、人や物事に対してこだわらない態度を取り、自分の地位や権勢をあまり気にしません。団体に問題が起きるのは、最も多い場合、我性の重い人たちです。強力な指導者がいなければ、この団体はめちゃくちゃになってしまいます。

仏教の団体には、必ず護法神が護持しています。護法神は一人ひとりの心性をよく知り尽くしています。この人はどのような心性なのか、どのような目的があるのか、どのような役割を果たせるのか、護法神はすべて明らかです。それゆえ、人が団体の中でどのような役割を担うべきかは、護法神が管理します。私心の重い人は団体に対して破壊的な作用を及ぼすことがあるので、護法神は方法を考えてその人を追い出したり隔離したりします。

——生如法師の開示
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証果の時は必ず意根が証果するものであるべき

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