衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月15日    土曜日     第5 回の開示 合計1617回の開示

疑念の力はなぜ大きいのか

疑念には深浅があります。もし疑念が深ければ、その力は強く、自拔困難となり、必ず内心深層の意根が疑を起こしたため、身心不安定となります。意識のみが疑を起こし、意根不疑の場合、この疑は浅く、身心平常如常、変化無し。意根が疑を起こし不信となれば、如来蔵は意根の思心所を了別し、以前の全ての心行為を抵消します。善法と功德等を含む。故に疑心重は悪い。

疑は煩悩であり、解決と克服が必要です。疑、不信は煩悩と結縛に属し、障害となり、修行中に徐々解除必要。疑未解なら、生死未了,故心の疑を解決方法を考えます。己が功德を做了後に己を疑すれば、功德の量と程度は減少します。真に善業を造作したなら、功德を疑せず、善業として認可します。必ず善業に善果報あり。意根後に如来蔵が配合し、意根の心行如来蔵皆知。意根が功德を不信疑すれば、如来蔵は功德の記錄を抵消し、功德性減少します。

临终時、念念が今世造作の悪業なら、如来蔵は悪業を現前させ、我等は悪業に随し受報となります。しかし、此心念を制御可能。一生造作の悪業を临终前に尽忏悔。実忏悔不了なら、临终前に心に強念を形成せず、淡忘し。临终時最好不想起,如来蔵は此業現前を阻止可能。業現前の縁不成熟。

临终の念は后世の去向を決定。意根有念、如来蔵は尽随顺。想什么殆什么,极乐を想えば极乐へ、娑婆を念えば娑婆留。一切法唯心想生。临终意根の念と愿力、如来蔵尽配合し、念力と愿力を実現努力。故临终我等善愿、极乐向往の愿なら、如来蔵必ず极乐往生を配合。若临终念悪、此辈子の悪業相应なら、悪業の果報現前、我等三悪道へ可能。故临终の念最重要。善業を做了なら己善業を疑せず、善業を念想着すれば、善業随し受善報极大可能。

——生如法師の開示
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