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生如法師
《大乗顕識経》講義
《大乗顕識経》講義
宗、因、喩
自己暗示法を用いて仏法を観行する方法
意根の我見をいかにして断除するか
解悟と証悟の違い
意識の解悟は仏法の急速な滅亡を招く
大乗顕識経解説
阿頼耶識はいかにして転身するか
密意を明言することを禁じるのは、意根が悟りを開くためである
阿羅漢涅槃後の如来蔵における業種の存在
意根と意識の関係
業種枯渇の道理について(二)
業の種が枯れる法理について(一)
我見断ちと明心の悟りは意根自らが証得するものである
意識の力のみでは我見を断つことはできません
知解宗徒とはいかなる人であるか
実証と虚証の違い
見解の相違が行為の差異を生む
意識の解は意根の証ではありません
五蘊無我を理解することは我見を断つことではありません
見惑を断つことと思惑を断つこと
五蘊は第八識の内にあるのか、外にあるのか
第八識は識蘊に属するか
身心の転換は証の重大な指標である
意根の無明と結縛を断ち切ることによってこそ解脱を得る
《大乗顕識経》解説
《大乗顕識経》講義
《大乗顕識経》講義
煩悩の障りが小さければ小さいほど、智慧は広大となります
定は意根が三昧の中にあること
色・声・香・味・触の種類
『大乗顕識経』解説
真なる断我見と偽りの断我見の区別
意識と意根の悔い
知ることと証得との間の距離は想像を絶します
《大乗顕識経》講義
大乗顕識経解説
大乗顕識経解説
《大乗顕識経》解説
意根の内容はすべて唯識種智の範疇に属します
我見を断ずる根本は意根の我見を断ずることです
戒・定・慧を具えて初めて悟りを証得し解悟を避けられる
禅定は解脱の智慧を得るためのものである
意根の無我
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