衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年12月28日    金曜日     第2 回の開示 合計1137回の開示

戒・定・慧が具足してこそ「桶底脱け」が実現するのです

かつての禅僧は、参究を重ねて第八識を悟るとき、桶底脱落と称しました。桶とは何でしょうか。『楞厳経』において仏陀は人の身体を肉の桶に喩えられました。その形状まさに桶の如し。衆生はこの肉の桶を自己と見做し、実在不滅の我として執着するのです。

 禅僧が第八識を悟るに至れば、第八識こそ真実にして永遠不滅の自己であると知ります。五蘊の身はただ第八識が顕現させた仮の殻に過ぎず、真実ではなく、私でもない。しかし第八識という私と異なるものでもありません。かくして五蘊を我と認めず、五蘊の身という肉の桶を否定し、五蘊の重荷を下ろすとき、身心ともに空じて比類なき軽安を得ます。これを桶底脱落と喩えるのです。

 桶底脱落の前提条件として、戒定慧を具足し、福徳を満たし、菩薩の六波羅蜜を修め終え、入道の資糧を具備せねばなりません。時節因縁が熟する時初めて桶底は脱落します。この時同時に小乗の初果を証得し、三結を断じて永く三悪道に堕ちることなくなるのです。

 小乗の初果とは五蘊十八界が苦・空・無常・無我であることを証することです。第八識を悟れば、五蘊十八界が私ではなく虚妄・空幻・不実であると知ります。故に大乗の果を証する時、同時に小乗の果も得ます。しかし小乗の果を証しても必ずしも大乗の果を証するとは限りません。これが大乗法が小乗法を包括する所以なのです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

経典が読めない場合でも法に従うことはできるでしょうか

次の記事 次の記事

修定と参禅の違い

ページのトップへ戻る