衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月27日    木曜日     第1 回の開示 合計1132回の開示

仏道を学ぶ者は妄念を巧みに活用すべき

仏道を学ぶ過程で、多くの人々が絶え間なく妄念と戦い続けています。妄念を消し去れば仏法を証得できると考えていますが、たとえ百年間妄念と戦ってこれを制圧したとしても、結局は仏法を理解せず、智慧が生じず、解脱を得ることはできません。

正しい修行方法は、意根の注意力を仏法への思惟に転換させることです。そうすれば妄念は自然に減少し、注意力を転換し、攀縁の対象を変えることで、修行は速やかに成就します。常に妄念の上で議論を重ねることは、仏法の修行と智慧の獲得に何ら役立ちません。最も直接的な方法は、心の攀縁対象を転換することです。世間法への攀縁から仏法への攀縁へ、世間法への執着を仏法へ、興味を転換し、貪愛の対象を転換し、世智弁聡という世間法の小賢しさを、仏法を観行する智慧へと転換することです。そうすれば定慧は即座に現れ、悟りを得られない心配はありません。仏法を善く学ぶ者は、妄念を押し殺すのではなく、妄念を活用し、仏法を思惟する念へと転換させるべきです。心心念念全てが仏法にあり、心心念念全てが仏法であるならば、定慧は自然に成就します。

もし毎日妄念と戦い続けるならば、それは外道の修行方法と何ら変わりありません。しかも根本的に外道の禅定の高深さに及ぶものではありません。かつて外道たちが禅定を修め、四禅八定を成就し、五神通も得ましたが、未だ我見を断じておらず、五蘊十八界の中の何らかの法を我とし、真実と認めていたため、邪見と倒見は毫厘も破られていませんでした。この邪見に依るが故に、生死輪廻を免れ得なかったのです。

仮に八万大劫もの長きにわたって入定できたとしても、八万大劫後に出定すれば、依然として三悪道に堕ち、生死輪廻の苦しみを免れることはできません。衆生は我執の邪見によって業を造り、生死輪廻するのです。もし我見を断じれば、自らを縛る結び目を解き放ち、三悪道に堕ちない保証を得られます。邪見を破り正知見を得る修行は極めて重要です。さもなければ無量劫を修行しても依然として邪道を歩み、正路に帰ることなく、解脱を得ることはできません。

福徳が具わり、目標が正しく、方法が適切であれば、悟りを開くことはそう難しいことではありません。各人の根機が異なるため修行方法も様々です。幼少期から清浄を好み、独処を愛し、趣味嗜好の少ない人は、禅定を修めるのが比較的速やかです。座禅を組まなくても心の攀縁が少なく、精力が集中しているため、仏法に遇えば直ちに専心して仏法を思惟し、深く仏法に入ることができます。ある期間仏法の正知見を薫習した後、正知見を得れば、参禅の方法を理解し、自発的に参禅を始めます。逆に、十年二十年と座禅を組んでも、依然として仏法に専心して思惟できず、如何に仏法を観行すべきかを理解せず、法の正邪や次元を見分けることもできない人もいます。

——生如法師の開示
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