衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月27日    木曜日     第3開示 合計1134開示

意識に倶生の人我執はあるか

第六識には俱生の人我執があるのでしょうか?もし第六識も第七識のように五蘊が生まれたばかりの時に前世と同じ認知を持っているならば、神様はもちろん前世と同じ執著性を持つことになります。第六識が生まれつき俱生の人我執を持っており、後天的な教育や薫習を必要としないのであれば、まず必ず五蘊が存在することを知り、かつそれが我であることを知らなければならず、十八界が存在することを知り、かつそれが我であることを知らなければなりません。第六識は生まれたばかりの時、教えられなくても五蘊があることを知っているのでしょうか?第六識は生まれつき、教えたり学んだりしなくても十八界があることを知っているのでしょうか?神様は五蘊の色受想行識の機能・作用を認識しているのでしょうか?十八界の六根・六塵・六識の機能・作用を認識しているのでしょうか?自分と他人の区別をつけることができるのでしょうか?自分と他人という概念を持っているのでしょうか?我相・人相・衆生相・寿者相を持っているのでしょうか?もし第六識が五蘊・十八界のすべての法についての認知を持っているならば、人我執があることになります;もしこれらの法についての認知がなければ、第六識には人我執がなく、神様には執しようとする心行がなく、たとえ執しようと思っても執する能力がないのです。

法執の内容は我執の内容よりもさらに広大であり、含意はさらに深く細かく理解しがたいものです。意識は生まれたばかりの時には何の法も認識しないので、執著することができません。たとえば意識が財・色・名・食・睡を執著しようとするならば、まず財・色・名・食・睡を認識し、その重要性を知らなければ、執著が生じることはなく、執著する能力があって初めて執著できるのです。もし意識が財・色・名・食・睡が何であるかを知らなければ、執著する心行はなく、執著するか否かという話にもなりません;たとえば意識が権勢や地位を執著し、裕福な生活を執著しようとするならば、まず権勢や地位が何であるか、どれほど重要であるか、その意味は何であるかを理解し、生活を享受することをわきまえて、初めてこれらの法を執著し、貪愛の心行を生じさせることができます。もしこれらの法について何も知らなければ、執著することもできなければ執著する能力もなく、執著するか否かという話にもなりません。したがって、生まれたばかりの意識には法我執がなく、執著することをわきまえておらず、意識には俱生の、生まれつき備わったいかなる執著もなく、人我執と法我執が含まれます。

——生如法師の開示
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意根に倶生する人我執と法我執

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経典を読解できない場合、法に依拠できるか否か

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