衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月07日    月曜日     第6 回の開示 合計1164回の開示

証法は六七識を同時に証得する必要があります

真に一切法を証得するのは、六七識が同時に証得し、同時に認可するものです。もし意識心のみが如何又如何と考え、意根が認可せず、六識が認可する理を知らず、理解しない場合、意根は熏習成功せず、祂は佛法を証得せず、身心世界は変化不可能です。意識は表面に浮き、思惟は浅く、自主性なく、深層の意根の主導に完全依存します。意根が熏習成功しない場合、祂は元来の認知で意識の一切行為造作を主導し、意識単独の见解は应有の作用を果たせません。

意根は主導識、通常内心深層の潜意识と呼ばれます。意根深層が認可する事と理の場合、身口意行は認可する理に従って行事します。意根が我執を断之前、執著と烦恼残存し、証得の理に完全従って抉择できません。しかし祂は观念上既に変化し、意根が烦恼と我執を断除時、内心に我なく、熏習は徹底成功します。

意識思惟の過程は、意根が理を明らかにする過程です。これは必ず经历する過程、意識必ず思惟し、深く思惟せず。思惟しない場合、意根は理を明らかにできません。意識心が明白する理、意根未明白の場合、身口意行は変化不可能です。意根は意識思惟する内容情報に依存し、意識が明白する理を知ります。意識心不思惟の場合、情報意根に传递せず、意根了別できず、祂理を明らかにできず、观念変化不可能、身口意行も変化できません。故我々佛法修学時、善く思惟し、意識心を良く利用し、如理如法に思惟観行します。佛法修行は意識を常に无念想、无觉知状態に置かず、意识闲着无用させず、那样我々深く理を明らかにできず、智慧も增长不得です。

——生如法師の開示
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