衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月07日    月曜日     第1 回の開示 合計1159回の開示

禅定と随眠の関係

禅定に入る時、睡眠は少なくなり、身体は多くの睡眠を必要としません。禅定そのものによって、六識の活動が減少し、四大の栄養を消耗しなくなるためです。禅定はまた意根の攀縁を減らし、色身の活動を抑制し、全身の神経系統への牽動と制御を減らします。脳神経系統と五臓六腑、全身の活動が減少し四大の消耗が少なくなるため、身体は疲労せず、意根も睡眠を決定する必要がなくなります。

禅定が深まるにつれ、必要な睡眠はますます少なくなり、ついには完全に睡眠を必要としなくなります。この時、意根は非常に静寂で、何かを造作しようとする念がなく、脳神経系統を過剰に動員することもなく、身根の活動や識心の活動もほとんど生じません。意根が定まるほど攀縁が減り、調節活動が少なくなり、四大の消耗が減るため、睡眠や食事を必要としなくなります。

日常業務において、作業量は少なくないが心念が稀薄な人々は、消耗が少ないため、多くの食事や睡眠を必要とせずとも精力が充実しています。これは四大エネルギーを最も消耗するものが意根の心念活動であり、六識自体の消耗はそれほど多くないことを示しています。よって六識の作業量は全く減らないものの、意根の心念が減れば活動量が減少し、仕事による疲労を感じなくなります。

これにより、意根が色身の状態を常時把握し、随時調節指揮できることが明らかです。意根は極めて敏捷に了別し、意識では身体の各種状態を知り得ず、依然として意根の暗示と警覚を必要とします。

——生如法師の開示
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学法の要は禅定の中で意根とともに参究する意識にあります

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