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生如法師
一闡提が善根を断つとは何か
色身が無我であると観ずる着手点
『楞厳経』第三巻 空大虚妄
『楞厳経』第三巻:風大の虚妄
修行者の習慣と世俗の習気への反抗
我見を断つことは五蘊の虚妄性を観行することです
観行による意根の転換
『楞厳経』第三巻:水大虚妄
諸仏菩薩は災難に遭った時、どうされるのでしょうか。
人間が鶏とアヒルを使って蝗害を駆除することは殺生にあたるのでしょうか?
三宝の物を盗む罪
一切の天地万物、取ることはすべて盗みです
『楞厳経』第三巻 火大虚妄
盗みの問題を論ず
『楞厳経』第三巻 地大虚妄
仏教の修定と道教の修定の違い
仏陀の涅槃と阿羅漢の涅槃の相違
真の参証修行とは何か
定慧をともに修め偏りのない道を歩む
意根と意識の役割分担
究竟的な方法であればあるほど修めにくいです
『楞厳経』第三巻 意根と法塵の虚妄
五蘊の観行
一切法は如来蔵性であることをどのように思惟すべきか
《楞厳経》において説かれる身根と触塵の虚妄
縁起性空の真髄
意識の体外離脱現象(二)
意識の体外離脱現象(一)
『楞厳経』における舌根・味塵の虚妄
仏道の修行はそう簡単なものですか?
如来蔵の種子の機能作用は地上菩薩のみが現観できる
『楞厳経』第三巻 鼻根香塵の虚妄
世俗界において、何が平等でしょうか
阿頼耶識の見分
楞厳経第三巻 耳根と声塵の虚妄
六識なき時の塵境が意根に及ぼす影響
衆生はなぜ解脱しないのでしょうか?
『楞厳経』第三巻 眼根と色塵における虚妄
第七識は眠るのでしょうか?
縁起所生法における縁とは何でしょうか
道眼が明らかなる時、真妄を見分けることができる
意根が如来蔵を導き仏道を成就する
盗みに関する法話
墓荒らしの罪と仏供養に関する問題
真妄を魚水に喩える
起始頁
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