言葉が自然と口をついて出る時、そこには意根の働きである意根の機能作用、すなわち意根の心所法を観察することができる。意根にはどのような心所法があり、どのような心理作用が即座の発言を引き起こすのであろうか。
もし人が質問を投げかけられた後、即座に答えを口にし、思考を要しないならば、それは自らが問題を深く理解し熟知していることを示す。過去に頻繁に触れてきた事柄ゆえ、改めて考察や思惟を必要としないのである。この「自ら」こそが意根である。反応の速い人々の意根は、この事柄に関して経験と智慧を具え、意識の分析を借りる必要がない。逆に、意根が不慣れであるか未経験の場合、事態に遭遇すると意識による思惟分析を必要とし、意根はこれに基づいて自らの決定を下す。この過程には時間を要し、即答や即解決ができず、中間に意識の思惟過程が存在する。結論を得るまでに至って初めて、意根に智慧がなかったこと、従来知らず理解していなかったことが明らかとなる。
この故に禅宗の祖師は説かれた:「思って得、慮って得るは鬼家の活計なり」。真の智慧とは一つ、意根の智慧であり、即席の学びを要せず、即席の売買を必要としない。偽りの智慧は、意識による即席の思案分析から得られ、意識が情報を探り出すことに依存するゆえ、智慧と呼ぶに値しないのである。
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