どれほど多くの人々が騙されることを好み、虚名を求め、虚栄心を満たすために、ただ自分を特別に見せさえすれば手段を選ばず、騙されても価値があると考えるのでしょう。自我意識を煽り立てさえすれば、爆弾ですら喜んで受け入れる人々がいます。彼らはただその感覚に生きているのです。次第に妖怪変化が善知識を装って現れ、衆生を度脱しようとし、結局は衆生を妖怪変化の仲間に引き込んでしまいます。皮肉にも、人々はこうした妖怪変化のような存在を好むのです。どうしようもないことです。
善知識が愚かな弟子に問う:「汝は仏か?」弟子が躊躇すると、善知識は言う:「どうして自覚しないのか。汝は仏ではないのか?」すると弟子は忽然と悟る:「我こそ仏である!どうして仏でないことがあろうか?善知識も仏、私も仏、私たちは皆仏なのだ」と。互いに讃え合い、「あなたは仏、私は仏、あなたは神、私は神、あなたは衆生を度し、私も衆生を度す」と。皆が自分たちを衆生より優れた存在と思い込み、衆生は自分たちによって救われると信じます。こうして彼らは毎日雲の上に立ち、何甕もの古酒を飲んだように酔いしれます。かくて愚かな仏たちは大妄語の業を造り、命終れば地獄行きが確定するのです。
互いに仏であることを確認し合った後、善知識は教えます:「仏に修することなく、証することなく、得るものなし。我々は今後修行せず、保任すれば足りる」と。こうして偽仏たちは終日笑顔を浮かべ、何も学ばず修さず、これを「保任」と呼ぶのです。
精神疾患には集団精神病と個人精神病があります。個人の精神病でさえ対処困難なのに、集団精神病が発現すれば、仏といえども即座に対処できません。衆生は大いなる染め壺の中で存分に染まり、知らず知らずのうちに、まるで何甕もの古酒を飲んだかのようになります。目覚めさせる手段がないのです。
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