昔、馬祖道一禅師がまだ仏法の修証を理解していなかった頃、成仏は座禅だけで成就されると考え、成仏が止観の結合による結果であり、止観が円融して初めて身心世界を形成・変化させ得ることを知りませんでした。懐譲禅師が仏教の英才を求めていた時、終日座禅三昧に耽る馬祖道一と出会い、その非凡な風貌と気宇壮大なる祖師の気魄を見て、仏門の龍象となるよう教化しようと決意しました。懐譲禅師は馬祖道一の目の前で瓦を激しく磨き始め、その動作に注意を引いた後「我は瓦を磨いて鏡となす」と説明しました。馬祖が「瓦を磨いても鏡にはならぬ」と首を振ると、懐譲禅師は「座禅しても仏には成れぬ」と諭しました。
そこで馬祖道一は謙虚に成仏の方法を尋ね、懐譲は成仏の理論と道程を解説しました。成仏にはまず根本仏性を明らかにすることが必要であり、見性を得て初めて成仏可能であること。如何にして見性するか――参禅において単に止(サマタ)のみならず観(ヴィパッサナー)を具え、止観等持して偏りなく大智慧を開き、見性を成就しなければならないこと。修行の道程において一切の法を円融具足し、偏りなく実践して初めて成仏できること。智慧を欠いて只管に禅定に耽れば智慧は開けず、また禅定なく理屈に偏れば同様に大智慧は開けぬこと。両者を結合して初めて一切の智慧を具足し、円満成仏できることを説きました。馬祖道一は成仏の理を悟った後、日夜修行に励み、遂に見性を成就して一代の祖師となりました。
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