問:物を長い間使わないでいるとどこに置いたか忘れてしまい、意図的に探してもなかなか見つからず、仕方なく探すのをいったん諦めるけれども、内心ではとても気がかりで、その物が重要なものだからこそ、数日後に突然どこに置いたか思い出して、物が見つかることがあります。これも意根が手伝ってくれたのでしょうか?
答:そうです師父。意識は一つのことをずっと気にかけ続けることができませんが、意根が関心を持っていることは時折気にかけます。しかも通常、意識は意根が気にかけいていることを知りません。物を探すこと、問題を解くこと、何年も前の学生時代のことを見る夢、何年も前の古い友人のこと、実はすべてそうであり、意根が問題を気にかけすることは時間の制限を受けないのです。
問:意根が念茲在茲であること、これこそが参禅の原理であり、用功の方法です。これは天梯であって天機ではなく、魚ではなく漁なのです。
答:そうです師父。いかにして意根に念茲在茲させるかというのは大きな問題です。弟子が気づいたのは、修行上のことに比べて、意根は世俗のことをより多く気にかけしているようだということです。多くの人が第八識がこうだこうだと言い好きですが、実は大部分は意識の想像と推理であり、意根は甚至注意深く考えたり気にかけしたりしたことすらありません。これは夢の中から容易に観察できます。意根はあちこち気にかけしています。前世のこと、数日前に起きたこと、心配していること、家族のこと、ずっと昔に過ぎ去ったこと、なのに第八識について考えたり気にかけしたりすることは、ないか、あってもごくわずかです。だから確かに天梯であり、理想と現実の距離はまだとても遠いのです 。
問:恐れるのは、理想を現実と見なして、自分を欺いて「私は得た」と言うことです。どの「私」が得たというのですか?
答:意根が世俗のことを気にかけするようになってから、すでにとても長い長い年月が経っており、一足飛びに転換することは不可能です。私が再来人でない限りは。もし自分が再来人ではないと確認できるならば、あまり美しく、あまり簡単に考えすぎてはならず、そんなに容易にはいかないのです。
お正月の期間、戒をよく持とうと思ったので、戒律の内容に基づいて観行し、毎日対象を絞って繰り返し観行しました。弟子が気づいたのは、毎日大部分の時間あるいは丸一日をある一つの問題に費やすと、最初は断続的になるということです。境に臨んで対処するには良い定力が必要で、心が境の中で頻繁に行ったり来たりするからです。徐々に、用功し続けたおかげで、境に粘着される回数と時間がどんどん少なく、どんどん短くなり、自分を覚照できるようになりました。やがて習慣になり、心に対象の問題を抱くようになり、他のことをしているときやふとした瞬間に、突然関連する道理が分かることがありました。しばらく観行するたびにこうなり、ついにはある日夢の中で関連する境に出会っても戒を持たなければならないと分かるようになり、目覚めたとき心がとても軽やかでした。振り返ってみると、関連する問題に出会ったとき、心が自然に坦然としているのです。
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