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生如法師
なぜ意根は主導の識であるのか?
現代仏教徒にみられる通弊
識心が自証分を証する現れ
識心の四分と五遍行心所法の関係
解悟と証悟を区別する重要性
定中は必ずしも一法にのみ縁するとは限らない
末法時代における意根と意識の区別を理解する重要性
如来蔵見法の作用
頂とは何か
意根は黙然として如来蔵を容れることができるか
五識と六識は第八識の見分でしょうか?
守心戒とは何ですか
中有において悟りを開くことは可能ですか?
正死位にて悟りを開くことは可能でしょうか?
不相在の意味
強大なる因果
明心開悟に必要な条件とは?
グループ内の一研修生による中観行の体験
グループ内の修行者による修定体験
意識は我にあらず、我がものにあらず。
六識には睡眠という一法がない
眠りに就いた後と昏死状態になることの違いは何なのでしょうか
六識には睡眠という法があるのでしょうか。
識と意根、二人に等しきもの
勤めて証悟を求めることこそ仏典と仏意の誤解を避ける道
どのようにして法を証することができるのか
見分と相分の区別
世俗の人々の愛と仏菩薩の愛
執着すればするほど、解脱に近づきます
智慧が足りなければ、現量的に意根を観察することはできない
観音耳根円通法門はなぜ修行が難しいのですか?
阿頼耶識の意味が分からないでしょうか?
阿頼耶識は無形無相の心法である
意根は中継点であります
如来蔵こそが一切法の主宰者であります
如来蔵の了別は七識の了別とは異なります
いかにして早く我見を断つことができますか?
催眠、酩酊、夢遊における状態
三宝を供養する福徳は無量無辺なる大いなるもの
予知夢の原理
波旬の福業と魔業
仏はなぜ波旬を滅ぼさないのでしょうか?
福徳の重要性
禅定と道力が具足してこそ魔を識別し退けることができます
無心・無欲・無求こそ修業成就の要諦
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