現代人は誰も地に足をつけた修行を知らず、一日中口を開けばしゃべってばかり、あちこちでしゃべりしゃべり、何を言っているのか、結局何のためなのか、いったい何を狙っているのかも分かっていない。仏法を学び修行するというのは、自分を誇示して、他人に自分が修行者で多くを知っていると思わせるためなのだろうか。想像力が豊かな人もいるが、実修実証があまりにも欠けていて、よく仏法を推測ばかりして、実際に観行 (vipaśyanā-caryā) せず、しかも自信満々である。禅定(じょう)のない思惟はすべて推測に属し、自分の修証からほど遠い仏法を思惟するのも推測に属し、自分が推測した仏法で人と弁論するのも、すべて自分を誇示する類の人間に属する。
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