仏在世の時,魔王(波旬)は非常に猖狂でした。幸いにも修道人たちは貪愛などの煩悩を断除し,心に結缚なく,神通道力を具足し,魔を避け、降魔、除魔できました。現在末法時代において,衆生の善根福德は鮮少で,禅定なく,道力なし,魔を辩する智もなし。善根福德が少しあり,臨欲成就する際,魔擾は更に大きくなります。しかし衆生は覚知なく,魔を辩する智一点もなし,魔擾があることを覚悟せず,完全に魔意に随顺しています。
現在所謂の大乗行人は小乗を見下げ,自らを大乗行者と認め,小乗より高く,小乗の戒律、禅定、智慧を不屑します。独辟蹊径,戒律、禅定、智慧を繞過し,自らが多高い本领があると思いますが,実は泥の菩薩一つ,水に触れず,河を渡れません。どうして魔を識別し、辩し、避け、驱除できるでしょうか?束手就擒の份儿のみです。
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