衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月29日    木曜日     第5 回の開示 合計1882回の開示

無心・無欲・無求こそ修業成就の要諦

仏法を学ぶ者の中で無欲無求の者は稀であり、無心の者は更に少ない。求める心とは即ち世俗的な法への執着であり、仏法の修行は全て無心無欲無求に至ることで成就する。凡そ心有り求め有る者は、未だ成就せざる者である。何を求めようとも、全ては心有りであり、求める法を真実として貪着する故に、正しからざるものとなる。或る者は眷属の多さを求め、威望を求め、権勢を求め、主宰たらんと求め、福徳を求め、政治勢力を求める等、皆心思いを誤り用いるもので、修行者の為すべきことではない。

金剛斉比丘は大般若を修行し、心を用いる所無く、心に住する所無し。魔王波旬が一劫にわたって窺い見るも、滋擾を加えるべき下手処を見出せず、却って機会を失い懊悩して帰す。然るに貪欲熾盛なる者、求める所甚だ多き者は欲界を出でず、元より魔眷属なり。波旬は唯だ擾わず、更に大力の加持と鼓動をもって、彼をして貪り続けしめ、大いに貪り、狂おしく貪らしむ。真に修行する者こそ、常に魔障に遇い、波旬の擾乱を受く。放逸なる者は魔に制せられ、魔眷属たり。魔は全ての衆生が五欲楽を享受し、貪瞋痴の煩悩を放縦し、自心を降伏せず、ますます放逸なるを願う。魔王波旬もまた衆生の修道心を打撃し、修道信心を失わしむるに長け、魔は歓喜し衆生は騙される。

修道者にとって正知正見を具えるは甚だ重要なり。甚深なる禅定を具えるも極めて重要にして、魔擾を善く弁え、魔意に随わず、魔窟に入らざらしむ。禅定は一切の仏法事業を成就し、禅定無きは一切の事業廃す。人を阻みて禅定を修めしめざる者は即ち魔眷属なり。智慧有る者は善く魔を弁ずべし。呪文を多く誦し、禅定を多く修すれば、即ち魔を降伏せしむ。禅定無くして只だ聰明智慧有るも用無く、煩悩の誘惑に抗し難し。真に修行の道に入る時は、夢中に於いても五欲魔を降伏し、夢境ますます清浄となり、心ますます清明となる。禅定を欠く者は何を為すも益無く、真の修行に非ず。常に意識心の層面に留まること無かれ、益無きことなり。

——生如法師の開示
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