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禅定の修めと参禅証道(第一部)

作者: 更新時間:2025-07-11 06:40:11

第二節 参禅に必要な禅定

一、禅定が具足して初めて機に応じて悟りを得る

禅定は外道にも通じるものであり、禅定があっても必ずしも道があるとは限らないが、禅定がなければ道を得ることは決してできず、禅定を離れては道業を成就することは不可能である。定力のない者は心が粗く、深い仏法の理を参究することはできず、それでは真に完全に我見を断ち明心することは不可能である。したがって、参禅には極めて優れた定力が必要であり、参禅に先立って必ず禅定を修め、その後で参禅すべきである。

歴代の祖師は皆、弟子に定を修めるよう教えてきた。かつて寺院に設けられた禅堂は、学人が坐禅して定を修め、参禅するためのものであった。唐宋時代の修行者は皆禅定を有しており、当時は経典が稀で遭遇し難く、読む機会も極めて少なかったため、学仏者は坐禅して定を修めるしかなく、彼らの定力は皆優れていた。静中の定も動中の定も具足し、心が外に縁取ることなく常に定中にあったため、彼らは禅師が仏法の真実義を開示するのに出会うと、速やかに悟入することができ、また時を選ばずに離世・往生し、自らの学仏修行に適した父母の家に自由自在に生まれ変わることもできたのである。

それほど優れた定力を具足していたため、禅師が堂上で機に応じて法を説く際、堂下で即座に開悟する者もいた。かつての学仏者は昼夜を分かたず参禅し、常に仏法を思惟していたため、縁に触れて即座に悟ることができた。当時は禅法に関する知識も少なく、仏教理論も多くはなく、如来蔵真如心のいくつかの体性を知り、それを信受して疑わずに参禅を始め、如来蔵を尋ね求めたため、悟りは現代人よりも速く容易であった。それは戒定慧が具足し、善根・福德も具足していたからである。かつての禅師の説法は比較的晦渋で、表現は直接的・露わではなく、学人の戒定慧が具足していなければ悟証は困難であった。現代のように仏法が明らかに説かれている状況とは異なり、学人はなおもその真意を理解できないのである。

二、参禅には色界の初禅定、あるいは初禅以前の未到地定が必要であり、それによって真心如来蔵を参究し、破参して真心如来蔵を見出すことができる。これは欲界第六天の定に相当し、定がこれより深くても浅くても、真心如来蔵を参究体得することは困難である。定がさらに深まると二禅に入り、眼は色を見ず、耳は声を聞かず、五識がなくなり、意根と意識心のみとなるため、身口意行の真妄和合の上で真心を見出すことができない。深い禅定に入って如来蔵を尋ね求めるのは容易ではなく、その時の意識心は微弱で鋭敏さを欠き、どれが真心如来蔵であるかを見出すのは難しく、また身行・口行もなくなり、微弱な意行のみとなるため、意識心は意行の上で真心を見出しにくく、発見は非常に困難である。如来蔵を尋ね求めるのは身口意行が造作される当体、特に身行と口行の造作の当体、真妄和合の時にこそ真心如来蔵を見出すことができるのである。

意識が微弱で意行が少ない時は、真心如来蔵を見出すのは困難であり、極めて優れた根器でなければ、深い定中で明心開悟することを期待すべきではない。定が浅い、あるいは定がない状態では、意識心は散乱し、心が粗雑であるため、智慧を開いて真心を悟ることもできない。中間の未到地定あるいは初禅定の中では、意識が散乱せず比較的集中しているため、一心不乱に達することができ、そうした思惟は細密で智慧を開きやすい。

開悟は意識による制心一処を離れることはできず、専心一意の集中力も欠かせない。したがって参禅による開悟は、定が深すぎる状態でも、浅すぎる状態でも悟ることはできない。凝心一処・制心一処の禅定功夫を修得した後も、なおこの一処が何であるかを知らなければならない。この時、参禅の方向性と着手点がどこにあるかを知る必要があり、そうでなければ依然として悟ることはできない。何を悟るのか、悟りの標的は何かを知らなければ、やはり開悟の方法はないのである。

明心の後、智慧が開け、如来蔵がどのように五陰と七識と協調して作用するか、身口意行がどのように造作されるかが分かり、如来蔵のいくつかの体性をある程度観察できるようになり、後に一切の事柄が生起する因縁も知ることができるようになる。この時、甚深な禅定を修得していなければ、神通を得ることは不可能であり、世俗の秘密の事柄を知ることもできない。開悟の境界と禅定の境界は異なり、両者を混同してはならない。一切を知るのは神通禅定の境界であり、開悟とは無関係である。虚空粉砕・大地平沈は禅定の境界であり、開悟の智慧境界とも無関係である。

三、戒定慧がまだ修まっておらず、六度が具足していない段階では、参禅の時期ではなく、しばらく参究を控え、禅定が伴っていなければならない。禅定が不十分であれば、真に心を込めて観行することができず、観ることも深く透徹せず、霧の中から花を見るようなものとなる。しかし禅定が不足していると、観行は意識による研究分析となり、似たような結果を導き出すことはできても、身心には益がなく、功徳の受用もない。これは非常に取るに足らないことである。菩薩の六度すら具足していないのに、急いで参禅すれば、往々にして事は願いとは逆になる。師は皆に苗を早く成長させようと引き抜くようなことはせず、皆も自ら苗を引き抜いて成長を早めようとしてはならない。小さな苗木が芽を出したばかりなのに、それを1メートルも引き抜いたら、その苗木は生きられるだろうか。苗木が死ねば、小木も大木も望みはない。学仏のこの一生が解悟で終われば、この一生の人物が廃棄されるだけでなく、後世においてもこの人物は容易に人材とはならず、苗を引き抜いて成長を早めることは一生を台無しにするだけでなく、次生の棟梁すら成就できず、棟梁となる機縁を失うことになる。

多くの人々が私に早く禅三を開くよう勧めるが、私はなぜ禅三を開く必要があるのかと尋ねる。彼らは三日間参禅を導いて開悟の準備をすると言う。皆、私が三日で皆を開悟させることができると思うか。香巌禅師は師の傍で十八年間侍者を務めたが、その根器と好条件をもってしても開悟しなかった。末法時代の衆生は禅定がなく、戒律を守れず、菩薩の六度も具足していないのに、三日の機縁で開悟できるだろうか。それでは仏が世に在ったなら、娑婆世界末法の時代にどれほどの人々が開悟するだろうか。仏はなぜそのようなことをしないのか。

しかし三日間で全ての人を悟らせることはできる。できないことではない。一言のことであり、難しいことではない。しかし皆がこのように悟った後、各人はどのようになるだろうか。娑婆世界はどうなるだろうか。仏法の行く末はどうなるだろうか。

かつて古代の禅師で、弟子が狭い道で待ち伏せし、刀を突きつけて脅し、密意を話すよう迫ったことがあった。禅師はそのような事態に直面しても全く恐れず、直接答えることを肯んじなかった。ただ弟子を押しのけて「お前が来るなら、私は行く」と言っただけである。これは弟子に対して高度な責任を持つ師であり、取引も交易もせず、自らがどれほど多くの弟子を度したか、自らがどれほど有能かを誇示しない。弟子の因縁条件が具足すれば自然に悟り、具足しなければ引き続き六度の条件を補い、戒定慧を修め、決して情実に流されない。古代にはこのような実例が多く、これこそが仏教と衆生に対して責任を負う良き禅師であり、このようにして初めて四重恩に報い、個人の名声のために動かないのである。

仏法は流布が長くなると弊害を生じるが、実際には仏陀入滅後百年の時点ですでに弊害が始まり、少しずつ変質し始め、生滅法を水老鶴と説くようになり、すでに阿難を心痛させ耐え難くさせ、涅槃に入って去ることを決意させた。もし阿難が仏法が流布して二千数百年を経た現代の世に来たなら、おそらく一日も留まりたくないと思い、悪法や悪習について知りも耐えもしたくないだろう。幸い彼は四禅と神通を修得し、言ってすぐに行ける能力を有していたため、見なければ心も煩わされないですんだ。彼のような能力を持たない菩薩はどうすればよいのか。ただ耐え受け入れ、さらに悪しき風潮を転化する方法を考え出すしかなく、退路はないのである。 

四、定力が深まって初めて意根が参究できる

参話頭とは、如来蔵を直指する一言を参究すること、すなわちこの言葉の真実義を明らかにし、それによって如来蔵の真実の作用を見出し、如来蔵を証得することである。一言の義理を参究するのも同様の意味で、その言葉の真実義を明らかにしようとすることである。参究の功夫を行う際、意識の表面的・粗浅な思惟は少なく、心理活動は内心深層の思惟活動が主となり、心は専一で深く、一言の実質と深層の意味を探究することができるが、定が浅ければこれはできない。

功夫を行う際の無念にして念ずるとは、意識表面には念がなく、法を念じないが、意根の深層にはなお念があり、心に懸念が絶えない状態、これが参究の功夫と状態である。意根の功夫を用いるのは容易ではない。定力が不足しているためである。真に意根が用功する段階に達すると、意識も容易には観察できず、意根の作用はあまりに隠蔽され、意識の観察智慧も非常に薄弱である。

参禅の疑問・疑情は目標に近ければ近いほど良く、範囲は小さければ小さいほど良い。これは人を探すのと同じ理屈である。範囲を全国に設定するのは設定しないのと同じであり、特定の地域に設定すれば速やかに人を見つけられる。ただし設定範囲が小さいほど必要な証拠資料は多く、状況をより多く理解し、智慧はより深く細やかになる。禅宗で最も直接的な話頭は「死屍を引くのは誰か」であり、行蘊(うん)の上で如来蔵を証得するのが最も速いが、証量はやや小さく、智慧もやや浅い。もし唯識の上で悟り、識心の究竟の源処を悟ることができれば、一を悟って百に通じ、特に意根の功用の上で悟るのが最も直接的で究竟徹底している。

五、ある人々は長期間無念無想の定を修めるが、どれほど長く修めても初禅は現起せず、見道して智慧を開くこともない。このように修めるのは貴重な学仏の時間を浪費している。長期間無念無想で、仏法に基づく如理思惟観行がなければ、如何なる智慧も生じず、証道もできず、命終に際してこの有漏身を如何に安置すべきか。定力を修め、知見が具足したならば、禅定中に参究の念を持つべきであり、もはや何も思わない状態に留まってはならない。念があり疑情があって初めて疑情を破り、智慧を得ることができる。定がなく疑情があっても、耳障りな言い方をすれば、それは空想に過ぎない。

身体のみを修め心を修めなければ、どれほど長く入定しても初禅定は現れない。欲界の欲を離れ、貪りや執着を去って初めて初禅定が現れる。長期間未到地定の暗黒の境界に安住して何の益があるのか。

六、修行は定慧等持でなければならない

仏は菩薩たちが修行する際、定と慧を善く修めるべきだと説かれた。もし定が多く慧が少ないと自覚したならば、慧を多く修めるべきであり、慧が多く定が少ないと自覚したならば、定を多く修め、できる限り定慧等持を心がけるべきである。菩薩は皆慧が定より大きいが、定と慧の差があまりにも大きすぎてはならず、そうでなければ仏法の修行は阻害される。外道は定はあるが慧がなく、阿羅漢は定が多く慧が少なく、菩薩は慧が多く定が少なく、仏は定慧等持である。

菩薩が真に成就した証は慈悲喜捨の四無量心であり、これらの心性を有して初めて、その人物が真に衆生を利楽する菩薩であることを示す。狂慧のある者はその人物が真の菩薩であることを代表できず、心性が調柔でないため、衆生を利楽できず、我執が強いためである。したがって我々が学仏修行する上で最も重要なのは、菩薩の慈柔な心性を修め出し、衆生に対して悲捨の心を持ち、修行の根本目的が衆生のためであり、自己の私利のためではないという心念を持つことであり、真の菩薩はこの心念を持つべきである。

七、修行は必ず定慧を併せて修め、仏陀が我々に教えられた戒定慧を修める方法に従って修行しなければならず、仏陀の教えを離れて、自らが思うように修めるのは許されない。現代の世の現存する環境条件は、衆生が定を修めることを非常に困難にしており、定が修めにくいからといって、ただ動中の定を強調したり、粗浅な定さえあれば良いと強調するべきではない。定が浅い者は煩悩や是非が非常に多く、一つの団体は非常に混乱し、皆が集まれば多くの葛藤や矛盾が生じ、争い合いが非常に激しくなり、そうなればどの団体も調和・団結せず、仏法は次第に消滅し、仏教は崩壊するであろう。また定が浅い者は観行が非常に不得手であり、口では理路整然とし、筋道立てて滔々と語るが、その多くは外部から学んだものであり、自ら功夫を込めて観行したものではない。したがって自らの智慧とはならず、生死の問題を解決する手段はないのである。 

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