衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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禅定の修めと参禅証道(第一部)

作者: 釋生如 カテゴリ: 禅定の法門 更新時間: 2025年07月13日 閲覧数: 9221

第五章 戒定慧の三学の重要性

第一節 戒定慧は悟りを得るための重要な要素

一、世尊が娑婆世界に住まわれた時、弟子たちに繰り返し戒定慧の三学を修めるよう教え、戒によって定が生じ、定によって慧が生ずると強調されました。戒定慧などの学びは心を漏れなき状態に至らしめます。すなわち、戒を保つことで心に漏れがなくなり、定を修めることで心に漏れがなくなり、智慧が増長することで心に漏れがなくなります。漏れとは無明の煩悩を指し、心に漏れがなくなれば心の解脱を得、智慧の解脱を得、果位は地々に増上し、戒定慧の三無漏学が究竟円満した後は必ず仏となります。

戒定慧の三学は、悟りを開く前に一定の程度まで修行し、相応に満たされれば、我見を断つか、あるいは心を明らかにして悟りを証することができます。その後、戒定慧の三学をさらに増上させて修行すれば、初地に入り心に漏れなき状態に達します。さらに無漏の戒定慧を増上させて修行すれば、地々に増上して八地に至り、さらに増上させて修行すれば十地等覚に至り、戒定慧が円満に具足した後は仏となることができます。したがって、戒定慧の三学および三無漏学は非常に重要であり、仏道を成就するための重要な要素です。菩薩の六波羅蜜の中にも、戒律の保持(持戒)、禅定の修習(禅定)、般若の智慧(般若)の三つが含まれており、持戒と禅定を基礎的な修行方法とし、般若智慧を具足することを最終的な成果としています。

菩薩の六波羅蜜では、定学の後に慧学が来ます。仏は定によって慧が生じると説かれ、真の大智慧の獲得は必ず禅定の中での深く微細な思惟と観行によって引き出されるものであり、これは実証された智慧であって、単なる思考や理解による乾いた智慧(乾慧)ではありません。初果を証してから仏となるまでの全過程がこのようであり、各中間段階には必ず禅定の支えがあり、あらゆる智慧は禅定の結果なのです。

二、戒定慧が具わって初めて悟りを証することができる

仏は戒によって定が生じ、定によって慧が生ずると説かれました。戒定慧とは、意識だけでなく意根も具わっていなければならないことを指します。意根が我見を断つ智慧や心を明らかにする智慧を持つためには、やはり禅定が必要であり、禅定の中で無我の法を参究し思量し、真如仏性を参究し思量して初めて、我見を断ち心を明らかにし本性を見ることができます。

もし意根が自ら参究し思量することができなければ、意識が教え込んだ道理を認めることができず、結局は意識の解悟に終わってしまいます。また、意根が無我の理を参究し思量するためには、同様に禅定が必要であり、そうでなければ心が散乱してしまいます。もし意根に禅定がなければ、六識を散乱させ、六識が散乱すると絶えず了別を行い、常に了別した内容を意根に報告しようとするため、意根は絶えず気が散り、集中して参究することができず、理想的な結果を参究することもできません。

禅定に代わる方法はありません。解悟による修行方法には十分注意する必要があります。世尊が教えられた方法に従って修行すれば、決して間違いはありません。仏在世時の全ての弟子は皆、坐禅によって定を修め、普段の行住坐臥において心を定めて仏法を思惟していました。唐宋の時代、明清以前、民国以前の修行者たちは皆、坐禅による定修を主とし、その後は行住坐臥の中に常に禅定を保ち、心を常に定めていました。こうして心が細やかになれば、参究を突破する機縁が熟しやすく、縁に触れて即座に証悟を得ることができました。我々が今、彼らが容易に仏法を証得したように見えるのは、実は彼らの基礎修行が非常に優れており、善根と福徳が具足し、三十七道品が具足していたからであり、もちろんその中には禅定も具足し、思惟が鋭敏で明晰であったため、相応するある法を聞けば、たちどころに悟りを証することができたのです。

全ての人々の説法の中で、仏の説法は最も円満で究竟しており、仏の智慧を超える者は誰もいません。仏の言葉を信じることに絶対に間違いはありません。いつの時代であれ、仏法は永遠に変わらず、仏法はあらゆる時代に永遠に適用されます。多くの仏経を読めば智慧が増長し、無駄な道を歩まず、人に欺かれにくくなります。全ての菩薩の説法は、仏と比べると欠漏や滲漏があり、不円満不究竟な点があるため、我々が仏法を修学するにはやはり仏経を主とすべきです。

三、戒定慧の実質

 修行の根本的な目的は無明の煩悩を断ち解脱を得ることであり、果位だけを注視してはなりません。果位は修行の副産物です。煩悩を降伏させ、無明を取り除くことを目標とし、大智慧無量の智慧を得ることを目標とし、衆生を救い度すことを目標とすれば、この目標は純粋で障害がなくなります。目標を確立した後は、戒定慧の三無漏学を修行しなければなりません。

戒定慧の実質とは、すなわち心を戒め、心を定め、心に智慧を生じさせることです。戒とは、心の中の貪・瞋・癡・慢・疑を戒め、煩悩を戒め、我執の性質を戒め、覆い障るものを戒め、無明を戒めることであり、これが戒の根本的な作用です。無明と覆い障るものを戒め、心が非を起こさなければ、初めて定を持つことができます。定とは、心を定めて攀縁せず散乱せずに保つことであり、仏法を思惟し観行することが深く透徹し力強くなり、初めて仏法を証得し、智慧を生み出すことができます。慧とは、心に正しく道理にかなった仏理を薫習させることです。この三つが具われば、真実の見地が生まれ、それによって大智慧が起こり解脱を得て仏道を成就し、衆生を度脱する能力を持つようになります。

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