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阿含経十二因縁釈

作者:釈生如更新時間:2025年02月27日

第三節 四十四種の智を如何に実証すべきか

(三六七)四十四種の智の実証方法

原文:その時、世尊は諸比丘に告げられた。方便を勤め修習して禅思に習熟し、心を内に寂滅させるべきである。何故か。比丘が禅思を修め、心を内に寂滅させ、方便を精勤するならば、この如く真実が顕現するからである。

釈:世尊は諸比丘に仰せになった。汝らは精進して適切な方法を求め、禅定における清浄なる思惟を修習し、内心を寂静にすべきである。何故このようにするのか。比丘が精勤して方便を修め、禅定において思惟し、心が清浄寂静となった後、このように真実が心中に明らかに現れるからである。

原文:如何にして真実が顕現するか。老死が真実として顕現し、老死の集、老死の滅、老死滅の道跡が真実として顕現する。生・有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行が真実として顕現する。行の集・行の滅・行滅の道跡が真実として顕現する。これらの諸法は無常にして、有為有漏なることが真実として顕現する。

釈:如何なる法が心中に真実として現れるのか。老死の法が真実として現れ、老死の縁を証得する。老死の集起が真実として現れ、生の集起によって老死が生じることを証得する。老死の滅尽が真実として現れ、生の滅尽によって老死が滅することを証得する。老死滅の修道方法が真実として現れ、八正道を修習すれば老死を滅し得ると知る。

精勤して禅定と観行を修めれば、生の法が真実として現れ、生の縁を証得する。生の集起と滅尽の理、生を滅する修道方法が次第に現れる。同様に有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行などの諸法、及びそれらの集・滅・道跡がすべて現れる。これら全ての支分が生滅無常の有為有漏法であることを証得し、遂に生滅の繋縛より解脱する。

仏の教える修道方法は禅思を修め心を寂滅させることであり、禅定と観智の両輪を必要とする。深い禅定により妄念なく、意根の思惟が起こり諸法が真実として現れる。方便なき禅思では深観できず、現量智は生じない。十二因縁の実証は容易ならず、意識的理解は表層に過ぎず、深甚なる禅定と観智なくしては真実を証得し得ない。

(三六八)四十四種の智の実証方法

原文:その時、世尊は諸比丘に告げられた。無量の三摩提を修し、専精に系念すべし。無量の三摩提を修し専精に系念すれば、この如く真実が顕現する。如何にして真実が顕現するか。老死が真実として顕現し、乃至行が真実として顕現する。これらの諸法は無常にして、有為有漏なることが真実として顕現する。

釈:世尊は諸比丘に、無量の禅定を修め十二因縁法に専念すべきと説かれた。深定において十二因縁を観じれば、老死の現象・因縁・集滅・八正道が明らかに現前する。生から行に至る諸法の実相、それらの無常・有為・有漏なる理が真実として顕現し、解脱の大智が生ずる。真実の顕現は法の本然を覚知する刹那に起こり、心は解脱境に住する。

(三六九)十二因縁の順逆観察

原文:その時、世尊は諸比丘に告げられた。昔、毘婆尸仏が未だ正覚を成ぜざりし時、菩提樹下に座し、七日間端坐して十二因縁を順逆に観察せり。此れ有れば彼れ有り、此れ起これば彼れ起る。無明を縁として行あり、生を縁として老死あり、純大苦聚の集滅を観じ、三昧より起ちて偈を説きたり。

釈:世尊は毘婆尸仏の成道因縁を説かれた。七日間の深定において十二因縁を順観逆観し、縁起の理を体得された。諸仏菩薩の証悟は皆深甚なる禅定を基とし、推理に非ず。三昧の智慧をもって初めて真実を証得する。

原文:此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 永く諸疑惑を離れ 因縁生の法を知る

若し因の生苦を知り 諸受の滅尽を知らば 因縁法の尽くるを知り 則ち有漏の尽くるを知る

此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 永く諸疑惑を離れ 因有る生苦を知る

此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 永く諸疑惑を離れ 諸受の滅尽を知る

此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 永く諸疑惑を離れ 因縁法の尽くるを知る

此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 永く諸疑惑を離れ 諸有漏の尽くるを知る

此の如き諸法の生起 梵志は勤めて禅を思う 普く世間を照らすこと 虚空に日輪の住するが如し

諸魔軍を破壊し 諸結の解脱を覚る

釈:梵志が深禅において諸法の縁起を観じ、一切の疑惑を断じ、因縁生法を証知する。諸苦の根源を断じ、有漏尽きて解脱を得、日輪の如く世間を照らし、魔軍を破り煩悩の繋縁を断つことを讃嘆された。

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