衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

阿含経十二因縁釈

作者: 釋生如 分類: 二乗解脱 更新時間: 2025-02-27 閲覧回数: 2233

第四節 苦滅の解脱の道

(二九〇)観行触縁受の解脱

原文:例えば二本の木が擦れ合うが如し。和合して火を生ず。若し二木が離散すれば、火も亦随って滅ぶ。かくの如く、諸々の受は触を縁として集まる。触生じ触集まる。若し彼々の触が集まる故に、彼々の受も亦集まる。彼々の触の集まり滅ぶ故に、彼々の受の集まりも亦滅び止む。清凉に息み没す。多聞の聖弟子かくの如く観ずれば、色に於いて解脱し、受想行識に於いて解脱し、生老病死憂悲悩苦に於いて解脱す。我は彼が苦を以て解脱を得たりと説く。仏此の経を説き終え給う。諸比丘仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行す。

釈:仏は説きたまう、二本の木が触れ合って摩擦する譬えの如く、やがて火が生じる。もし二本の木が離れれば、火もまた滅ぶ。かくの如く、全ての受は触を縁として集起する。触が生じ触が集まる故に、それぞれの触が集まれば、それぞれの受もまた集まる。それぞれの触の集まりが滅すれば、それぞれの受の集まりもまた滅び、心は清凉に止み静寂となる。多聞の聖弟子がかくの如く観行すれば、色蘊において解脱し、受想行識蘊において解脱し、生老病死憂悲苦悩において解脱する。かくして我は彼らが苦より解脱せりと説く。

仏は二本の木の摩擦による火生を以て、触の集まりが受の集まりを生ずる縁起の理を譬えられる。触の因縁がなければ苦悩も生じず、触の因縁が滅すれば受の感覚も滅ぶ。

如何なる受も、触縁が集まれば受集が生じ、縁が続く限り集も続く。触が生じ触が集まれば必ず受集が生ず。万物は全て縁に依って生起し、縁は前世の業縁より生ず。触が滅すれば受も滅し、受集が滅すれば心は滅止し清凉となる。

(二九一)内触法の観察による解脱

原文:爾時、世尊諸比丘に告げたまう。我は内触法を説く。汝らはこれを取るや。時に異比丘座より起ち、衣服を整え、頭面礼足し、合掌して仏に白す。世尊の説きたまう内触法、我已に取りたり。時に彼比丘仏前に於いてかくの如く自記説す。世尊悦びたまわず。爾時尊者阿難、仏の後に在りて扇を執り仏を扇ぐ。仏阿難に告げたまう。聖なる法律の内触法は、此の比丘の説く所とは異なる。阿難仏に白す。今正に是の時なり。惟願わくは世尊、諸比丘の為に賢聖の法律たる内触法を説きたまえ。諸比丘聞き已ちて当に奉行すべし。

釈:世尊が比丘たちに内触法を観察できるか問われる。新参比丘が自らの悟りを述べるが、仏は認められず。阿難尊者が正法を請う。内触法とは勝義根における触、六根と六境の接触により識が生じる理である。

原文:仏阿難に告げたまう。善哉。諦聴せよ。当に汝の為に説かん。此の諸比丘内触法を取るには、かくの如く思惟すべし。若し衆生の所有する種々の苦生ずれば、此の苦は何を因とし何を集とし、何を生とし何を触とするか。かくの如く取る時、当に知るべし此の苦は取を因とし取を集とし、取を生とし取を触とす。

釈:苦の因を観察するには、取(執着)が根本因であると知るべし。取が集まれば苦が集まる。

原文:復次比丘、内触法を取るに、当に知るべし、取は愛を因とし愛を集とし、愛を生とし愛を触とす。復次比丘、内触法を取るに、当に知るべし、愛は世間の念う所の諦正の色に於いて生じ、繋がれ住まう。

釈:愛(渇愛)が取を生む。世間の色法に常楽我浄の想いを抱けば、愛着が増長する。

原文:若し沙門婆羅門、世間の念う所を常恒の想とし、我我所の見あれば、愛は増長し苦も亦増す。路傍の毒入り清泉の譬えの如く、渇きにまかせて飲めば苦果を招く。

釈:無常を常と見誤る愚かさを説く。毒水を避ける如く、愛着を離れるべきことを教える。

原文:若し沙門婆羅門、世間の色を病癰刺殺の如く観じ、無常苦空非我と知れば、愛は離れ苦も滅す。かくの如く見聞覚知し、過去未来も此の道に順う時、解脱を得ん。

釈:四法印を観じることで愛着を断ずる道を示す。

(二九二)苦滅の道

原文:仏比丘に告げたまう。如何にして苦を尽くし苦辺に至るか。取を因とし愛を縁とし、無明を根元として十二縁起の理を逆観せよ。無明滅すれば行滅し、行滅すれば識滅し、遂に老死憂悲も滅尽す。

釈:縁起の法を逆観する修行法を詳説。無明を滅する道跡を修めれば、一切の苦聚が滅する。

原文:比丘仏に白す。多聞の聖弟子無明を離れ明を生ずれば、諸行は止み、大苦聚も亦滅す。仏これを印可し、熟した瓦器の熱消散する如く、受覚も亦身滅と共に尽きん。

釈:無明を断じた阿羅漢の境地を説く。一切の因縁が滅尽し、完全なる寂静を得ることを明かす。

ページのトップへ戻る