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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年10月10日 閲覧数: 1415
<h2 style="text-indent: 2em;">第五章 法を観じて住す</h2><h3 style="text-indent: 2em;">第五節 四聖諦法を観じて住す</h3><h4 style="text-indent: 2em;">一、苦諦を観じて住す</h4>

原文:复次。诸比丘。比丘即于四圣谛法。观法而住。然。诸比丘。比丘如何即于四圣谛法观法而住耶。于此。诸比丘。比丘如实知此是苦。如实知此是苦之集。如实知此是苦之灭。如实知此是到苦灭之道。然。诸比丘。苦谛者何耶。生是苦。老是苦,病是苦。死是苦。忧悲苦恼闷是苦。求不得是苦。约略言之。五取蕴是苦。

解釈:続けて下に説く。諸比丘よ、比丘は四聖諦法において法を観じて住すべきである。では、諸比丘よ、比丘はどのように四聖諦法において観行して住すのであろうか。この問題についてはこう答えるべきである。諸比丘よ、比丘は如実に何が苦であるかを了知し、如実に何が苦の集であるかを了知し、如実に何が苦の滅であるかを了知し、如実に何が苦を滅するために修すべき道であるかを了知すべきである。では、諸比丘よ、苦の真実の理とは何であろうか。出生は苦であり、老いは苦であり、病は苦であり、死は苦であり、憂悲苦悩はすべて苦であり、求めて得られないことも苦である。大まかに言えば、五取蘊はすべて苦である。

原文:复次。诸比丘。生者何耶。于到处之生类中。有诸众生之生出产。入胎转生。诸蕴之显现。内外诸处之摄受。诸比丘。此名为生。复次。诸比丘。老者何耶。于到处之生类中。有诸众生之年老老耄。齿落头发白。皱纹皮肤。寿命短缩。诸根熟衰。诸比丘。此名为老。

解釈:さらに下に説く。諸比丘よ、生とは何か。あらゆる処の生類の中に、多くの衆生の出生・出産、入胎・転生、諸蘊の顕現、内六処と外六処の摂受がある。これらが生である。改めて言えば、諸比丘よ、老とは何か。あらゆる処の生類の中に、多くの衆生の年寄りになり老い衰えること、歯が抜け髪が白くなること、皮膚に皺が寄ること、寿命がますます短くなること、眼耳鼻舌身の諸根が成熟して衰えることがある。諸比丘よ、これらを老と名付ける。

原文:复次。诸比丘。死者何耶。于到处之生类中。有诸众生之消失散灭。破坏灭亡。消灭死殁。命终诸蕴之破坏。死尸之放弃。诸比丘。此名为死。复次。诸比丘。忧者何耶。诸比丘。有俱若干不幸。被若干苦法所恼。忧愁感内忧内怆。诸比丘。此名为忧。复次。诸比丘。悲者何耶。诸比丘。有俱若干不幸。被若干苦法所恼。叹悲叹息悲哀悲叹悲痛。诸比丘。此名为悲。

解釈:続けて下に説く。諸比丘よ、死とは何であろうか。あらゆる処の生類の中に、多くの衆生の消失・散滅・破壊・滅亡・消滅・寿命の終わり・死滅、および命終の時に五蘊が毀破され、死骸が放棄されることがある。諸比丘よ、これが死である。続けて言えば、諸比丘よ、憂とは何か。諸比丘よ、三界に法の聚集する処には幾らかの不幸があり、幾らかの苦法に悩まされ、憂愁の感があり、内心に愁憂と凄愴を感じる。これが憂である。さらに、諸比丘よ、悲とは何か。諸比丘よ、幾らかの不幸な事に出会い、いくつかの苦しみに逼恼され、心に嘆悲・嘆息・悲哀・悲嘆・悲痛が生じる。諸比丘よ、これが悲である。

原文:复次。诸比丘。苦者何耶。诸比丘。关于身之苦痛。身之不快。由身触所生之苦痛。及不快之感受。诸比丘。此名为苦。复次。诸比丘。恼者何耶。诸比丘。关于心之苦痛。于心不快。由意触所生之苦痛。及不快之感受。诸比丘。此名为恼。复次。诸比丘。闷者何耶。诸比丘。有俱若干不幸。被苦法所恼。失望沮丧。气馁愁闷。诸比丘。此名为闷。

解釈:続けて言う。諸比丘よ、苦とは何か。諸比丘よ、苦とは身体に関する苦痛、身体上の不愉快、身体の触によって生じた苦痛および不愉快な感受である。これが苦である。さらに言えば、諸比丘よ、恼とは何か。恼とは心に関する苦痛、心理上の不愉快・不快、意識が法塵に触れることによって生じた苦痛および不愉快な感受である。諸比丘よ、これが恼である。さらに言えば、諸比丘よ、闷とは何か。諸比丘よ、幾らかの不幸な事柄に遭遇し、心がこれらの苦しい事柄に逼恼され、失望・落胆・気力の喪失・憂闷を感じる。諸比丘よ、これが闷である。

原文:然。诸比丘。求不得苦者何耶。诸比丘。于生法之众生。生如是欲求。我等实非于生法之下。我等不愿意生来。然。不得此欲求。此为求不得苦。诸比丘。于老法之众生。生如是欲求。我等实非于老法之下。我等不愿意老来。然。不得此欲求。此为求不得苦。

解釈:では、諸比丘よ、求不得苦とは何であろうか。諸比丘よ、生きている状態にある衆生にとっては、心の中にこのような欲求が生じる。すなわち、我々は実に生命の中にありたくない、出生して生きることを望まない、と。しかしながら、彼らはこの欲求を得ることができない。これが求不得苦である。諸比丘よ、老いの状態にある衆生にとっては、心の中にこのような欲求が生じる。すなわち、我々は実に老いの中にありたくない、老いていくことを望まない、と。しかしながら、彼らはこの欲求を得ることができない。これが求不得苦である。

原文:乃至诸比丘。于病法之众生。生如是欲求。我等实非于病法之下。我等不愿意病来。然。不得此欲求。此为求不得苦。乃至诸比丘。于死法之众生。生如是欲求。我等实非于死法之下。我等不愿意死来。然。不得此欲求。此为求不得苦。乃至。诸比丘。于忧悲苦恼闷法之众生。生如是之欲求。我等实非于忧悲恼闷法之下。我等不愿意忧悲苦恼闷法之来。然。不得此欲求。此为求不得苦。

解釈:諸比丘よ、さらには病苦の中にある衆生にとっては、心の中にこのような欲求が生じる。すなわち、我々は実に病苦の中にありたくない、病気になることを望まない、と。しかしながら、彼らはこの欲求を得ることができない。これが求不得苦である。諸比丘よ、さらには死に瀕した状態にある衆生にとっては、心の中にこのような欲求が生じる。すなわち、我々は実に死の中にありたくない、死ぬことを望まない、と。しかしながら、彼らはこの欲求を得ることができない。これが求不得苦である。

諸比丘よ、さらには憂悲苦悩の中にある衆生にとっては、心の中にこのような欲求が生じる。すなわち、我々は実に憂悲苦悩の中にありたくない、これ以上憂悲苦悩を望まない、と。しかしながら、彼らはこの欲求を得ることができない。これが求不得苦である。

原文:然。诸比丘。约略而言。五取蕴之苦者何耶。如次之色取蕴。受取蕴。想取蕴。行取蕴。识取蕴。诸比丘。约略而言。此等名为五取蕴之苦。诸比丘。此亦名为苦圣谛。

解釈:要するに、諸比丘よ、簡単に言えば、五取蘊の苦とは何であろうか。衆生が順次執取する色蘊、執取する受蘊、執取する想蘊、執取する行蘊、執取する識蘊である。簡単に言えば、執著があれば苦であり、取着があれば苦であり、執して得られず、取って得られなければ、なおさら苦である。これが五取蘊の苦である。諸比丘よ、これもまた苦聖諦と名付ける。

<h4 style="text-indent: 2em;">二、苦集諦を観じて住す</h4>

原文:然。诸比丘。苦集圣谛者何耶。此爱能引导再生。有俱喜贪。到处为追求满足。即欲爱有爱无有爱。复次。诸比丘。彼爱于何处生起。于何处止住耶。凡于世间有可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:では、諸比丘よ、苦集聖諦とはどういう意味であろうか。現世のすべての貪愛は再びの出生を引き起こす。三界に再び出生する時には、何に接触しても喜楽と貪愛が伴い、あちこちと追い回して自分の貪愛を満足させようとする。すなわち、欲界の法を貪愛し、色界の法を貪愛し、無色界の法を貪愛するのであり、追求するすべては自分の貪愛の心理を満足させるためである。今世の煩悩は業種を集成し、後世の苦果を引き起こす。これが苦集の真理である。

さらに言えば、諸比丘よ、内心の貪愛はどこで生じ、どこに住し、どこで止まるのであろうか。世間に愛楽し欣喜すべき事物が存在するところはどこであれ、この愛楽欣喜の心は執持する事物の処で生じ、そこに住し、そこで止まる。どの法を喜楽すれば、心はその法の上に止住し、心はその法に束縛され、解脱を得られない。

原文:何者于世间为可爱可喜耶。眼于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。耳于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至鼻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至舌于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。身于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至意于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:世間において可愛く喜楽すべき法とは何か。眼根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は眼根の処で生じ、眼根の処に留まって動かなくなる。耳根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は耳根の処で生じ、耳根の処に住して動かなくなる。鼻根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は鼻根の処で生じ、鼻根の処に住して動かなくなる。舌根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は舌根の処で生じ、舌根の処に住して動かなくなる。身根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は身根の処で生じ、身根の処に住して動かなくなる。さらには意根は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は意根の処で生じ、意根の処に住して動かなくなる。

これは六根について述べている。衆生は六根を愛し、六根が六塵に接触でき、自分のために用いることができるからである。それゆえ心は六根の上に住し、絶えず六根を使用する。誰が六根を使用するのか。意根が六根を愛し使用するのであり、意根自身を愛し使用することも含めて、自分に絶えず作意・触・受・想・思をさせ、絶えず六塵の境界を取着させるのである。

原文:色于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:色塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は色塵の処で生じ、色塵の処に住して動かなくなる。声塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は声塵の処で生じ、声塵の処に住して動かなくなる。香塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は香塵の処で生じ、香塵の処に住して動かなくなる。味塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は味塵の処で生じ、味塵の処に住して動かなくなる。触塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は触塵の処で生じ、触塵の処に住して動かなくなる。法塵は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は法塵の処で生じ、法塵の処に住して動かなくなる。

これは六塵が可愛く喜楽すべき法であることを述べている。六塵は衆生のために用いることができ、すべての衆生が六塵を貪愛するからである。誰が六塵の法を喜楽するのか。意根が六塵の法を喜楽し、六塵の法を貪愛し、絶えず六塵の処で執取しているのである。

原文:眼识于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至耳识于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至鼻识于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至舌识于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至身识于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至意识于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:眼識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は眼識の処で生じ、眼識の処に住して動かなくなる。さらには耳識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は耳識の処で生じ、耳識の処に住して動かなくなる。さらには鼻識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は鼻識の処で生じ、鼻識の処に住して動かなくなる。さらには舌識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は舌識の処で生じ、舌識の処に住して動かなくなる。さらには身識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は身識の処で生じ、身識の処に住して動かなくなる。さらには意識は世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は意識の処で生じ、意識の処に住して動かなくなる。

これは六識が可愛く喜楽すべき法であることを述べている。六識は六塵を識別し、六塵を取着し、六塵を使用し、六塵を享受することができるので、衆生は六識を愛するのである。六識に貪着する。誰が六識を喜楽するのか。意根が六識を喜楽し、六識を執取し、六識に絶えず六塵に対して作意・触・受・想・思をさせているのであり、最終的には六識を通して六塵を執取するのである。六識は意根が六塵を執取するために用いる道具であり、この道具がなければ意根は何もできない。それゆえ意根は六識に滅することを望まず、だからこそ定を修めることが非常に難しいのである。

原文:眼触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至耳触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至鼻触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至舌触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至身触于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至意触于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:眼が色に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は眼触の処で生じ、眼触の処に住して動かなくなる。さらには耳が声に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は耳触の処で生じ、耳触の処に住して動かなくなる。さらには鼻が香に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は鼻触の処で生じ、鼻触の処に住して動かなくなる。さらには舌が味に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は舌触の処で生じ、舌触の処に住して動かなくなる。さらには身が触に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は身触の処で生じ、身触の処に住して動かなくなる。さらには意が法に触れることは世間において可愛く喜楽すべき法であり、貪愛は意触の処で生じ、意触の処に住して動かなくなる。

これは十二処が可愛く喜楽すべき法であることを述べている。六根が六塵に触れた後、六識が出生し、六塵の境界を享受することができるので、衆生はみな十二処を貪愛する。もちろん、結局のところやはり意根の貪愛と喜楽であり、絶えず塵境を執取するのである。

原文:眼触所生之受于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至耳触所生之受于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至鼻触所生之受于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至舌触所生之受于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至身触所生之受于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至意触所生之受于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:眼触の後に生じた受は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は眼触によって生じた受の処で生じ、眼触によって生じた受蘊の処に止住して動かなくなる。さらには耳触の後に生じた受は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は耳触によって生じた受の処で生じ、耳触によって生じた受の処に止住して動かなくなる。さらには鼻触によって生じた受は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は鼻触によって生じた受蘊の処で生じ、鼻触によって生じた受蘊の処に止住する。

さらには舌触によって生じた受蘊は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は舌触によって生じた受蘊の処で生じ、舌触によって生じた受蘊の処に止住する。さらには身触によって生じた受蘊は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は身触によって生じた受蘊の処で生じ、身触によって生じた受蘊の処に止住する。さらには意触によって生じた受蘊は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は意触によって生じた受の処で生じ、意触によって生じた受の処に止住して動かなくなる。

これは六識の受について述べている。六根が六塵に触れた後、六識の感受が出生する。衆生はみな受覚・受蘊を非常に貪愛し、心はみな受蘊の上に住し、受蘊のために悪業を造作することも惜しまない。もちろん、受蘊・受覚に貪着するのは主として意根であり、意根の貪りがあってこそ、六識に絶えず触と受をさせているのである。

原文:色想于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声想于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香想于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味想于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触想于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法想于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:色塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は色塵を取着する処で生じ、色塵を取着する処に止住して動かなくなる。さらには声塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は声塵を取着する処で生じ、声塵を取着する処に止住して動かなくなる。さらには香塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は香塵を取着する処で生じ、香塵を取着する処に止住して動かなくなる。さらには味塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は味塵を取着する処で生じて動かず、味塵を取着する処に止住して動かなくなる。さらには触塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は触塵を取着する処で生じ、触塵を取着する処に止住して動かなくなる。さらには法塵に対する取着は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は法塵を取着する処で生じ、法塵を取着する処に止住して動かなくなる。

六根が六塵に触れて受蘊が出生した後、想蘊が出生する。意根が相を取った後、六識は六塵の境界相を執取する。衆生はみな自分の想蘊を貪愛する。想蘊とは、六識が塵境を受けた後、意根が塵境に対して相を取る行為であり、色蘊の相を取着し、受蘊の相を取着し、想蘊の相を取着し、行蘊の相を取着し、識蘊の相を取着し、さらには六塵の境界の相を取着するのである。

原文:色思于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声思于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香思于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味思于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触思于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法思于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:色法に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は色法に対する造作の処で生じ、色法に対する造作の処に止住して動かなくなる。さらには声法に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は声法に対する造作の処で生じ、声法に対する造作の処に止住して動かなくなる。さらには香法に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は香法に対する造作の処で生じ、香法に対する造作の処に止住して動かなくなる。さらには味法に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は味法に対する造作の処で生じ、味法に対する造作の処に止住して動かなくなる。さらには触法に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は触法に対する造作の処で生じ、触法に対する造作の処に止住して動かなくなる。さらには法塵に対する造作は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は法塵に対する造作の処で生じ、法塵に対する造作の処に止住して動かなくなる。

六根が六塵に触れ、意根が思量して六塵を執取した後、行蘊が出生し、六識は身口意行を造作しなければならなくなる。衆生の意根はみな行蘊を好み、絶えず身口意行を造作することを好む。色声香味触法に対する思とは、六塵の境界に対する執取と造作の行為であり、これらの行為造作は意根が喜楽するものであり、意根が主となって抉択した結果であり、その後の業果はこの業行によって生じることになる。

原文:色爱于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声爱于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香爱于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味爱于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触爱于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法爱于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:色塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は色塵に対する愛の処で生じ、色塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。さらには声塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は声塵に対する愛の処で生じ、声塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。さらには香塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は香塵に対する愛の処で生じ、香塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。さらには味塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は味塵に対する愛の処で生じ、味塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。さらには触塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は触塵に対する愛の処で生じ、触塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。さらには法塵に対する愛は世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は法塵に対する愛の処で生じ、法塵に対する愛の処に止住して動かなくなる。

六塵の境界に対する貪愛の心行も、衆生が愛し宝として大切にし、手放したくないものである。それゆえ衆生はみな六塵に対する貪愛を喜楽するのである。

原文:色寻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声寻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香寻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味寻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触寻于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法寻于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。

解釈:色法を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は色法を尋求する処で生じ、色法を尋求する処に止住して動かなくなる。さらには声法を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は声法を尋求する処で生じ、声法を尋求する処に止住して動かなくなる。さらには香法を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は香法を尋求する処で生じ、香法を尋求する処に止住して動かなくなる。さらには味法を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は味法を尋求する処で生じ、味法を尋求する処に止住して動かなくなる。触法を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は触法を尋求する処で生じ、触法を尋求する処に止住して動かなくなる。法塵を尋求することは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は法塵を尋求する処で生じ、法塵を尋求する処に止住して動かなくなる。

衆生は色声香味触法の境界を愛するので、自分の貪愛の心理を満足させるために、絶えず六塵を追求し六塵の境界を探し求め、自分の尋求心を放棄したり捨てたりしたくない。それゆえ衆生は生生世世を通じて絶えず六塵の境界を追求し探し求めているのである。

原文:色伺于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至声伺于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至香伺于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至味伺于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至触伺于世间为可爱可喜也。此爱即于此处生起。于此处止住。乃至法伺于世间为可爱可喜者。此爱即于此处生起。于此处止住。诸比丘。此名为苦集圣谛。

解釈:心を動かさずに色法の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は色法を待つ処で生じ、色法を待つ処に止住して動かなくなる。心を動かさずに声法の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は声法を待つ処で生じ、声法を待つ処に止住して動かなくなる。心を動かさずに香法の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は香法を待つ処で生じ、香法を待つ処に止住して動かなくなる。心を動かさずに味法の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は味法を待つ処で生じ、味法を待つ処に止住して動かなくなる。心を動かさずに触法の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は触法を待つ処で生じ、触法を待つ処に止住して動かなくなる。心を動かさずに法塵の出現を待つことは世間において可愛く喜楽すべきものであり、貪愛は法塵を待つ処で生じ、法塵を待つ処に止住して動かなくなる。

衆生の六塵の境界に対する貪愛と追求は、最初は比較的粗い探し求める行為であり、ある程度探し求めて、もうすぐ手に入ると感じると、待ち始め、細心に六塵の境界の出現を待ち伺う。衆生はこれらの貪愛の行為によって生死の業種を集起し、後世には生死の苦報が出生することになる。

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