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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年10月10日 閲覧数: 1082
<h2 style="text-indent: 2em;">第五章 観法而住</h2><h3 style="text-indent: 2em;">第二節 五取蘊法を観じて法に住す</h3>

原文:复次。诸比丘。比丘即于五取蕴法观法而住。然。诸比丘。比丘如何即于五取蕴法观法而住耶。于此。诸比丘。比丘知如是色。如是色之生起。如是色之灭尽。如是受。如是受之生起。如是受之灭尽。如是想。如是想之生起。如是想之灭尽。如是行。如是行之生起。如是行之灭尽。如是识。如是识之生起。如是识之灭尽。

解釈:さらに続けて説く。諸比丘よ、比丘は五取蘊法を観行し、心を五取蘊法の観行の上に住ましめるべきである。しかしながら、諸比丘よ、比丘はいかにして五取蘊法に対して法を観じて住するのであろうか。このようにである。諸比丘よ、比丘は、何が色蘊であるかを知り、色蘊がいかに生起するか、またいかに滅尽するかを知らねばならない。何が受蘊であるかを知り、受蘊がいかに出生するか、またいかに滅尽するかを知らねばならない。何が想蘊であるかを知り、想蘊がいかに出生するか、またいかに滅尽するかを知らねばならない。何が行蘊であるかを知り、行蘊がいかに出生するか、またいかに滅尽するかを知らねばならない。何が識蘊であるかを知り、識蘊がいかに出生するか、またいかに滅尽するかを知らねばならない。

これは五蘊の生滅変異無常の性質を観察せよということである。心において、常に時々刻々、色蘊の状態、生滅変化の様子を了知しなければならない。いかなる時の内心の感受、およびこれらの感受の生滅変異無常の性質を了知しなければならない。いかなる時の想蘊、および想蘊の生滅変異無常の性質を了知しなければならない。いかなる時の行蘊、および行蘊の生滅変異無常の性質を了知しなければならない。いかなる時の識蘊、および識蘊の生滅変異無常の性質を了知しなければならない。

原文:如是。或于内法观法而住。又于外法观法而住。又于内外法观法而住。或于法观生法而住。又于法观灭法而住。或于法观生灭法而住。尚又智识所成及忆念所成。皆会有法之思念现前。彼当无所依而住。且不执着世间任何物。诸比丘。比丘如是即于五取蕴法观法而住。

解釈:このように、あるいは内の五取蘊法について法を観じて住し、あるいは外の五取蘊法について法を観じて住し、あるいは内外の五取蘊法について法を観じて住する。あるいは五取蘊法について新たに出生する法を観じて住し、あるいは五取蘊法について滅する法を観じて住し、あるいは五取蘊法について同時に生滅の現象を観じて住するのである。

このように絶え間なく連続して観察することにより、識心は智慧を具足し、絶えず五取蘊法を思惟するようになり、五取蘊法を経常的に観行するため、心はしばしば五取蘊法を憶念するようになり、心の中に絶え間なく連続する五取蘊の心念が形成される。このとき、これらの心念を滅して空ずべきであり、五取蘊に依って住すべきではない。なぜなら、五取蘊は生滅法であり、依止すべきものではないからである。心中で五取蘊法を滅した後も、世間のいかなる物をも執著してはならず、いかなる物にも依って住してはならない。なぜなら、一切の物はすべて無常生滅であり、頼りにならないものだからである。諸比丘よ、比丘はこのように五取蘊法について法を観じて住すべきである。

五取蘊を内外に分けると、内の色蘊とは色身を指し、外の色蘊とは色身の外の山河大地などの色法を指し、色声香味触法の六塵境を含む。内の受蘊とは深層の意根の受を指し、外の受とは浅層の六識の受を指す。内の想蘊とは意根の想を指し、外の想蘊とは六識の想を指す。内の行蘊とは意根の行を指し、外の行蘊とは六識の行を指し、行とはすなわち思である。内の識蘊とは意根の識性を指し、外の識蘊とは六識の識性を指す。

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