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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年10月10日 閲覧数: 1917
<h2 style="text-indent: 2em;">第二章 観身念住</h2><h3 style="text-indent: 2em;">第二節 色身の行住坐臥を観ずる</h3>

原文:复次。诸比丘。比丘于行者。知我在行。又于住者。知我在住。于坐者。知我在坐。于卧者。知我在卧。又此身置于如何之状态。亦如其状态而知之。

解釈:さらに、諸比丘よ、比丘がもし歩行しているなら、心の中で自分が歩行していることを知らなければならず、もし立ち止まって動かずいるなら、心の中で自分が立止まっていることを知るべきであり、もし座っているなら、心の中で自分が座っていることを知るべきであり、もし横たわっているなら、心の中で自分が横たわっていることを知るべきである。もし身体がその他のいかなる状態にある場合にも、心の中で自分がどのような状態にあるのかを知るべきである。

呼吸の観察の修習において、功夫が円熟に達し、心念がすでに常に集中できるようになり、散乱や昏沈がなくなったならば、次に活動の中での定慧の修習訓練を始める。この難度はいくらか増すが、観行 (vipaśyanā-caryā) の時にはより強い定と慧が必要であり、心念の観照力がより強く、より全面的に配慮することが求められる。

歩行や運動の中で観行 (vipaśyanā-caryā) する場合、心の中で常に自分が歩行運動していることを知らなければならない。行とは動転することであり、寂止しないことであり、身体が歩いたり、動いたり、活動したりすることを指し、身体が静止していない状態を指す。自分の身体が歩いているのであれ、その他のことをしているのであれ、心念はすべて反観しなければならず、すべて覚知しなければならず、自分自身に心念が散乱して攀縁する余地を残してはならない。たとえば家から外へ歩いて出る、一つの部屋から別の部屋へ移る、あるいは大通りへ出る、通勤の道を歩く、または仕事や雑事をする、あるいは人と話をする、これらの活動について自分の心の中ではっきりと知らなければならない。自分は行っている、いま何をしているのか、と。こうすれば心念はいま行っている事柄の上に繋ぎ止められ、心念が専一になり、心は定まってくる。了別の智慧は増進され、物事の見方が明瞭になり、思惟が細密になる。

身体の活動における定慧の修習訓練がうまくできたならば、次に身体が止住している時の定慧を修習する。住とは停留、停止することを意味し、身体が立っていて、寄りかかって動かず、静止状態にあることである。この時にも心の中ですべて知っていなければならず、心は散乱して妄想を抱いてはならず、心念をすべていま自分の色身の上に繋ぎ止め、他の物や他の事に縁じてはならない。身体が何もしていない時にも、心念は専一でなければならず、自分に乱想の機会を与えてはならない。

座っている時には自分が座っていることを知り、自分が結跏趺坐して静座しているのであれ、散乱して座っているのであれ、心の中で知らなければならず、心念は色身のいまの状態にのみ縁じ、その他を妄想してはならない。身体が横たわっている時にも自分が横たわっていることを知り、自分が右脅臥しているのであれ、左脅臥であるのであれ、その他の姿勢で臥しているのであれ、心の中ではっきりと了知しなければならない。これらの状態を心の中ではっきりと知らなければならず、もし知らないのであれば、心が昏沈しているか、あるいは心念が専一でなく妄想を抱いていることを意味する。心思が散乱している人は常に何を聞いても答えられず、昏昏沉沉としている人に何かを尋ねてもやはり答えられない。定がなければ慧がないからである。

この身体がどのような状態に置かれているかも、その状態の通りに知る。身体がどのような状態にあっても、行住坐臥であれ、語笑動黙であれ、疼痛や疲労であれ、安楽や軽安であれ、心の中で知らなければならない。内心は非常に清明でなければならず、散乱せず昏沈もせず、明々了々でなければならない。身体のいかなる状態についても明瞭であり、たとえば身体が揺れ動いているのか静止しているのか、足が動き回っているのか組んでいるのか、腰が曲がっているのか真っ直ぐなのか、これらの状態をすべて知らなければならない。

原文:如是。或于内身。观身而住。于外身。观身而住。又于内外身。观身而住。

解釈:このように練習した後、心はあるいは内身の状態を観じることに住し、あるいは外身の状態を観じることに住し、あるいは同時に内外身を観じることに住して、動かず散乱しない。

以上のことができたならば、次に内身を観じる。色身全体の状況を自分ではっきり知り、すべての心念もこれに住しなければならない。内身は五臓六腑、筋肉、骨格から外表の皮膚、五官に至るまで、頭から足まで心の中で知らなければならない。次に外身において観身而住する。外身とは色身の外にある色声香味触法であり、たとえば眼で見る色塵、耳で聞く音声、周囲に現れる気味、口の中の味塵、外界が色身と接触する時の触塵、五塵と共にある法塵などであり、これらの法を内心で知らなければならない。さらに内外身において観身而住する。内身と外身の状況を心の中で同時に知らなければならない。定力がなければ慧力も不足し、そのうちの一つか二つの事柄しか知ることができず、その他は明瞭に知ることができない。

この内身、外身のいずれも明瞭に了知できる程度に訓練されたならば、一心で多用することができる。たとえばある事をしている最中に、同時に四方八方に目を配り耳を傾けることができ、いずれもうまくやり遂げ、定力が非常に良く、精力が非常に旺盛である。定力がなければ、一つの事柄さえうまくできないこともある。もし私たちが禅定をうまく修めれば、生生世世にわたって利益を受ける。たとえばある人が非常に聡明で、人の顔色をうかがい機嫌を察するのが上手で、多くの事柄を一目見れば本質を知り、他人の心理状態をも把握できるなら、これは定力がある表れである。その人は一つの事をしながら、他の事柄にも同時に気を配ることができ、八方に通じ、精力に満ちている。

もし誰かの興味が広範囲にわたるなら、精力が旺盛である可能性もあるし、心思が散乱している可能性もある。その人の事の結果を見なければならない。同時にいくつかの事柄がすべてうまくできたなら、定力があり、慧力も強いことを意味する。一つの例を挙げると、学生時代に、ある学生は授業中に先生の講義を聞きながら、同時にこっそり課外の本を読み、隣の同級生の小さな動きも知り、教室の外の状況も明瞭で、先生の質問にも答えることができ、どの事柄もうまくやり遂げ、効率も非常に高い。その学生は半分にも満たない精力で学業をうまくやり遂げられる。これはその学生に定力があり慧力もあることを意味する。ある学生は耳をそばだてて先生の講義を聞き、注意力が集中しているように見えるのに、先生が何を話しているのか分からず、先生の話す内容も理解できない。その学生は講義を聞きながら、心の中に他の事を抱えており、自分でも気づいていないかもしれない。こうして講義を聞くことには多くの障害があり、昏沈と散乱の両方がある。宿題を何時間もしても、うまく完成できず、他の何かをしたわけでもない。これはその学生に定力も慧力もないことを意味する。

誰かが「この子は生まれつき勉強ができない」と言うかもしれない。実は前世で定力と慧力を訓練したことがなく、さらに学ぶ内容に興味がなく、今世の勉強がこのようになっているのである。もし定力が悪く、精力が集中せず、慧力が悪ければ、事をうまく処理できない。だから定があってこそ慧がある。もし今まさに心が非常に散乱していて、怒っているか、あるいは焦っているなら、この時には問題をはっきり明瞭に考えることが容易ではない。もし精力が非常に集中していれば、事柄は容易に思考し明瞭に理解でき、すぐにどのように処理すべきかが分かり、慧力が顕現してくる。

原文:或于身观生法而住。于身观灭法而住。又于身观生灭法而住。

解釈:心はあるいは身体の中に生じた法を観察することに住し、あるいは身体の上でまさに滅しつつある法を観察することに住し、あるいは身体の上に同時に現れる生法と滅法を観察することに住する。

身体において生法を観じて住するとは、私たちの行住坐臥の中で、身体に新しい状況が現れた時、あるいは身体が軽安を感じた時、あるいは身体が疲労を感じた時、あるいは内臓器官に変化が生じた時、あるいは皮膚に変化が生じた時、もとのなかったものがいま現れたならば、自分で知らなければならない。身体において滅法を観じて住するとは、もと身体の上にあった現象がいま消滅してなくなったならば、すべて観察しなければならない。たとえば身体のどこかに痛覚があり、あるいは病気の不調があったのが、いま消えたならば、自分で知らなければならない。さらに身体において生滅法を観じて住するとは、身体の上でどの現象が生じ、どの現象が滅したかをすべて観察し、心の中で同時にはっきり了知しなければならない。この心思は非常に細密である。

原文:尚又智识所成。及忆念所成。皆会有身之思念现前。彼当无所依而住。且亦不执着世间任何物而住。诸比丘。比丘如是。于身观身而住。

解釈:以上の色身に対する観行 (vipaśyanā-caryā) を通じて、智慧による認知によって成就されたもの、および心中の憶念によって成就されたものは、いずれも色身についての念頭が時々現れ、自分のすべての思想を満たす。この時、あなたがたは色身に対していかなる依止もなく住すべきであり、かつ世間のいかなる事物をも執着せずに住すべきである。諸比丘よ、比丘はこのように色身において色身を観じて住すべきである。

このように修行観察した後、自分のいまの心中はすべて身体に関することで、心心念念ともに色身であり、それならば色身についての観念がしっかりと形成される。この観念は智慧のあるものであり、色身の真実の相貌を知るものである。ならば色身に依倚せずに住すべきであり、無所依倚に住し、有身の心念を泯滅し、消除し、色身を真実の我と認めず、内心を空静にさせ、自我を空却する。こうすれば深い定に入り、心は身を執し我を執することがなく、身見を断ずることは遠くない。

いま色身は空であり、色身は我ではないと認めるが、心の中で世間の他のいかなる物をも執着せず、このように内心を空々と安住させ、心に依る所なく、いかなる相にも着してはならない。身体の観念を排除した後、心の中で他のいかなる事物にも着してはならない。もしこの時心の中で金銀財宝を貪恋しているなら、それはうまく修めていないのであり、心中にまだ物があり、空浄でない。修習が進むと、心の中ですべての法を空掉しなければならない。色身は我ではなく、世間のいかなる物も我ではなく、我の所有でもなく、一切の法はすべて淡化し、空掉しなければならない。こうすれば入定は深くなり、執着と貪欲はいずれも減少し、あるいは消滅し、内心は色身を貪着せず、いかなる物をも貪着しない。

以上が身体において身体を観じて住することである。修習者は心の中でこの身体を認めてはならず、身体が我であると思ってはならない。身体にはさまざまな生滅変化があり、それは我ではない。この智慧の認知が現れるべきである。いったん身体は我ではないという観念ができれば、忘身しやすい。忘身すれば定を得ることができ、身見を断じ、さらに我見 (satkāya-dṛṣṭi) も断じることができる。修習者はこのように功夫しなければならない。もし内心に多くの妄想があれば、この道理を徹底的に、明瞭に思惟することができない。だから智慧を得たいなら、必ず定が先にあり、禅定をうまく修め、定があれば智慧を引き生じて出現させ、色身に対して客観的な認識を持つことができる。

原文:复次。诸比丘。比丘不论行往归来。亦由于正智而作。彼观前顾后。亦由于正智而作。彼于屈于伸。亦由正智而作。

解釈:世尊は諸比丘に戒めて言う。あなたがた比丘は他方へ行くのであれ、外から帰ってくるのであれ、内心に正智正念がなければならず、自分がいま何をしているのかを知り、心は散乱や失念がなく、昏沈せず掉挙せず、正智によって一切を行う。前方を見るのであれ後方を瞻視するのであれ、心の中ではっきりと自分が何をしているのかを知り、昏沈せず散乱もせず、正智正念を具足し、正智によって行わなければならない。腰を曲げるのであれ身体を伸ばすのであれ、身体がどんな姿勢であっても、心の中で清明に了知し、はっきりと自分が何をしているのかを知り、昏沈せず掉挙せず、正智正念を具足し、すべて正智によって行わなければならない。

修習者は一日の中で何をしようとも、正知正念がなければならず、心は昏沈せず散乱もせず、いま行っているすべての事柄を明々了々と了知し、定があり慧がある。たとえば私たちが外出して用事を済ませ、また帰ってくる、この全過程も正智によって行われ、内心ははっきりとしており、散乱せず昏沈もせず、何をしても一清二楚で、心念は清明で、了々霊知である。目の前を見るのであれ身体の後ろを見るのであれ、何を見ようとも、前を顧み後を見る、左右を瞻視する、心念はすべてはっきり明瞭でなければならない。

原文:彼于着僧伽梨(袈裟)衣钵。亦由于正智而作。彼于食饮咀嚼尝味。亦由于正智而作。彼于大小便。亦由于正智而作。彼于行住坐卧醒语默。亦由于正智而作。

解釈:仏は言う。比丘たちよ、あなたがたは袈裟を着て、手に鉢を持つ時にも、正心正意で、自分が托鉢乞食していることをはっきりと了知し、心は散乱や掉挙がなく、これらの事はすべて正智正念によって行わなければならない。托鉢乞食から帰った後も、食事をし、水を飲み、咀嚼し、味を嘗めるなどの日常の些事の中でも正知正念をもって、清明にはっきりと完成し、心は掉挙してはならない。トイレで大小便をする時でさえ正智正念をもって、自分がいま行っていることを了知し、心は散乱してはならない。比丘たちは歩き、立ち、座り、横たわり、目覚め、話し、沈黙する時、すべて自分が何をしているのか、いまの状態は何であるのかをはっきり知り、正智正念で、散乱せず昏沈しない。

出家者が外へ托鉢乞食に出る時は、三衣を着て、鉢を持って乞食に出なければならない。比丘が衣を着て鉢を持つことも正智によって行わなければならず、うっかりと、昏昏沉沉とするのではなく、定があり慧があり、内心は清明で、正知正念をもって行うのである。ならば外出して用事をし、人と付き合う時にも、正知正念をもって、はっきりと一つ一つの事をうまくやり遂げ、心は糊塗してはならない。つまり、眠ってしまって心が了知できない時を除き、その他のすべての時に正知正念で、清明で、了々霊知でなければならない。もし内心が清明に了知できないなら、原因は二つある。一つは昏沈であり、一つは散乱である。定力が高まれば、心念は目の前のしている事に集中し、周囲の事柄もすべて知ることができる。色身全体の状況、さらには外身の状況、周囲の一切の状況が、すべてはっきりと、明々了々に分かる。

心を乱想させないようにすることは非常に容易ではない。もし修習訓練がうまくできれば、定力は相当に良くなり、慧力も相当に良くなり、書物を読み法義を思惟する時、容易に思惟して通達できる。さもなければ仏経を読んでもなかなか読み解けず、読みながら妄想を抱き、何遍読んでもその中の真の内包を理解できない。あるいは他人と交流する時、意念が集中せず心思が散乱して、相手の表現する意味が聞き取れず、自分の観点もはっきり述べられない。もし内心がある程度静まれば、他人の表情や動作一つで、自分は相手の目的、何をしようとしているのかを知ることができ、相手自身がまだ知らないうちに、あなたが先に知ってしまうこともある。

世尊はこの経文の中で、私たちに動中の定、動中の禅を教えており、これも大乗の参禅の基礎である。私たちがこの基礎を持っていれば、さらにこの身体のさまざまな状況を知る知を一つの話頭に換えれば、参禅することができる。話頭を参じ、公案を参じ、参じていくと最後には一つの話頭の内包だけが残り、話頭全体が一つの点、一つの知に凝縮され、心念でこれを携え、心の中に深く懸け、細かに参究すれば、明心見性することができる。だからこの方法は小乗の修法ではあるが、大乗の参禅にも通じており、大小乗の修法は最後には相通じており、いかなる禅定も相通じており、対立や矛盾の関係ではない。

原文:如是。或于内身观身而住。于外身观身而住。又于内外身观身而住。或于身观生法而住。或于身观灭法而住。又于身观生灭法而住。

解釈:このように修習すると、心はあるいは内身に対する観身に住し、あるいは外身に対する観身に住し、あるいは同時に内身と外身を観じることに住する。心はあるいは色身の上に新たに生じた法を観察することに住し、あるいは色身の上で滅しつつある法を観察することに住し、あるいは同時に色身の生法と滅法を観察することに住する。

ここの修習方法は上で述べた呼吸を観じる方法と同じであり、いずれも行住坐臥の中で色身を観照し、身体のさまざまな状況をすべて知り、自分の外身、六塵の境界も知らなければならない。この定力の要求はさらに高く、観照力もさらに強く、将来には四方八方に目を配り耳を傾ける定慧を得ることができる。もし定慧が不足すれば、身体を観じることだけに気を取られ、向こうから車が来ても分からず、その他の状況が発生しても分からない。これは慧力がまだ広大でないことを意味する。定力が十分に良ければ、自身を観じると同時に、向こうから車が来たことを知り、避けることができ、四方八方の人事物をすべて知り、同時に多くの事柄を処理することができる。定力が良くなければ、一つの事だけでも、うまくできないかもしれない。

原文:尚又智识所成。及忆念所成。皆会有身之思念现前。彼当无所依而住。且不执着世间任何物而住。诸比丘。比丘如是。于身观身而住。

解釈:観て観て、その中で智慧が生じ、色身に対する憶念も生じ、すると心の中は色身に関する思想念頭で満たされる。この時、修習者は心を色身に依倚させず、客観的に色身を見ることができ、色身と自分を緊密に結びつけず、心も世間のいかなる物をも執着しない。諸比丘よ、比丘はこのように色身を観察することに住すべきである。

この修習方法はすべて上文と同じであり、行住坐臥の中で、身体の中に新しい現象が生じたならば了知し、身体の中のある現象が消滅したならば了知し、身体の中で同時に生じ滅する現象もすべて了知し、一法も糊塗せず、一切時の中で清明で、明々了々でなければならない。身体の中のさまざまな生滅法の観行 (vipaśyanā-caryā) が終わった後、心念の中はこの色身で満たされ、思想の中はこの身体で満たされる。最後にこの身体は我であるという観念を泯滅し、思想の中にもうこの身体は我ではないという観念を持たないようにしなければならない。心念は空でなければならず、内心は色身に依頼して安住せず、世間のいかなる法にも依頼して安住せず、空々浄々で、心の中に一法もない。こうすればこの身我を空却し、この身体を我と認めなくなり、一種の空定に入り、定の中ですでに身の観念がなく、身我見(身体は我であるという知見)を断除することができる。これが身体において身体を観じて住する修持方法であり、比丘たちは仔細に修行すべきである。

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