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観行五蘊我見断ち(第二部)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年10月10日 閲覧数: 3595
<h2 style="text-indent: 2em;">第六章 倶舎論第二十三巻(四加行)</h2>

本巻は、瑜伽行者が声聞の四念住を修習する過程において生じる四種の善根、すなわち暖法善根、頂法善根、忍法善根および世第一法善根について述べている。この四善根はまた、声聞の見道以前の四加行位でもある。このような四加行を行えば、法眼浄を獲得し、初果乃至四果を証得する。四念住を修せず、白骨観などの他の四聖諦法を修習しても、やはりこの四善根が生じ、四加行位に処して、初めて見道して果を証することができる。 

四種の善根のうち、暖法善根を得た者は、退転して善根を断じたり、あるいは無間地獄の業を造って、死後に悪道に堕ちることもありうるが、六道輪回の中で長く流転することなく涅槃に達することができる。頂法善根を得た者は、退転することはあっても善根を失わず、結局断じられることはなく、さらに善根を増加させる。忍法善根を得た者は、善根は増すことはあっても退転せず、命終して異生位に住することはなく、無間地獄の業を造ることもなく、悪道に堕ちることもなく、卵生と湿生とはなく、無想天と北倶蘆洲および大梵天処に生まれることもなく、黄門や陰陽人として生まれることもなく、また第八回目に三界に生まれることもなく、見道で断ずべき惑はついに再び現れることはない。世第一法善根を得た者は、暫くはなお異生位に住するが、正性離生に趣入することができ、必ず見道を得て生死の苦を離れる。

<h3 style="text-indent: 2em;">第一節 暖善根と頂善根</h3>

原文:颂曰。彼居法念住。总观四所缘。修非常及苦空。非我行相。论曰。彼观行者。居缘总杂。法念住中。总观所缘。身等四境。修四行相。所谓非常。苦空非我。修此观已。生何善根。

解釈:頌に曰く、まさに四念住の中の法念住を修習している行者は、全体から身受心法の四つの所縁境を観行し、身受心法の苦・空・無常・無我の行相を観行すべきである。論に曰く、四念住を観行する行者は、触対する縁に総と雑とがあり、法念住を観行する際には、所縁である身受心法の四つの所縁境界を全体から観行し、苦諦の四種の行相、すなわち苦・空・無常・無我を修習する。このような観行を修した後、どのような善根が生じるのであろうか。

ここで言おうとしているのは、法念住を修習する段階において、全体から身受心法の所縁境を観行すれば、四善根が生じ、これを四加行と名づける。見道以前になって初めて四加行を修め、法念住を修習する以前には四善根はまだ現れることができない。機縁がまだ至らず、善根が成熟していないためである。

原文:颂曰:从此生暖法。具观四圣谛。修十六行相。次生顶亦然。如是二善根。皆初法后四。次忍唯法念。下中品同顶。上唯观欲苦。一行一刹那。世第一亦然。皆慧五除得。

解釈:偈頌に言う、四念住の苦・空・無常・無我を修習した後、暖法が生じ、暖法善根があって四聖諦を具足に観行し、十六種の行相、すなわち苦諦の四行相、集諦の四行相、滅諦の四行相、道諦の四行相を修習する。引き続き法念住を修習した後も同様に頂法が生じ、やはり四聖諦を具足に観行し、十六種の行相を修習する。暖法と頂法の二つの善根は、いずれも最初に法念住を修習し、全体から身・受・心・法の四つの所縁境を観行し、その後に四聖諦を修習して修習によって生じたものである。

その後の忍法善根は、法念住のみを修習すれば生じる。忍法の下品と中品の善根は、頂法善根の観行する所縁と同じであり、忍法の上品善根は、欲界の苦のみを観行し、五行陰のそれぞれの行、それぞれの刹那においてその苦諦を観行する。世間第一法という善根も同様で、いずれも法念住のみを修習しているときに生じるものであり、下品と中品の観行する所縁は頂法と同じであり、上品は欲界の苦のみを観する。四種の善根はいずれも慧を体とし、智慧の体性であり、第五の得法得道者の善根を除くものである。

十六種の行相とは、四聖諦を修習した後に現れる行相であり、そのうち苦聖諦は四念住の苦・空・無常・無我の性を観察し、この四種の行相を具え、集聖諦は集諦の因・集・起・縁の四行相を観察し、滅聖諦は滅諦の滅・静・妙・離の四行相を観察し、道聖諦は道諦の道・如・行・出の四行相を観察する。暖法と頂法善根の修習においては、いずれも十六種の行相を修めなければならず、そのうちの観行の智慧は次第に深細となり、禅定も次第に深く入り、定慧の階層は次第に深まっていく。第四の善根である世間第一法を修めば円満した後、定慧が具足して、初めて見道することができる。

原文:论曰。修习总缘共相法念住。渐次成熟。乃至上上品。从此念住后。有顺决择分。初善根生。名为暖法。此法如暖。立暖法名。是能烧惑薪。圣道火前相。如火前相故。名为暖。

解釈:論に曰く、一切衆生の共相を縁じて全体として法念住を修習すれば、その智慧は次第に成熟し、上上品に至るまで至る。この法念住を修習した後、順決択分が生じ、四聖諦の理に順従し、最初の善根が生じて、これを暖法と名づける。この法は暖かさのようであるので、暖法の名を立てる。これは煩悩惑の薪を焼くことができ、聖道の火が現れる前の相であり、火の前相のようであるので、暖と名づけるのである。

見道を火相の現前、材薪の燃焼の義に譬えてみると、火が現れる前に、最初に温度の変化が起こり、温度が上昇し、暖かさが現れる。このときが暖法善根に相当する。温度が絶えず上昇し、熱量が一定の程度に達すると、材薪が燃焼し、火が現れる。この間に次第に頂法善根、忍法善根および世間第一法善根を経て、その後に見道することができる。暖法の出現は、行者が四念住と四聖諦の修習を通じて、心がすでに変化し、四聖諦の理に随順して順決択分を生じさせ、もはや四聖諦の理に抗拒し違背することがなく、四聖諦の理を初步的に受け入れ、かつ薫習を受けたことを示している。

原文:此暖善根分位长故。能具观察四圣谛境。及能具修十六行相。观苦圣谛。修四行相。一非常二苦。三空四非我。观集圣谛。修四行相。一因二集。三生四缘。观灭圣谛。修四行相。一灭二静。三妙四离。观道圣谛。修四行相。一道二如。三行四出。此相差别。如后当辩。

解釈:この暖法善根が経過する修習段階が比較的長い、すなわち処する分位が長い缘故で、暖法善根が現前している段階では、四聖諦のすべての真実の境界を具足に観察することができ、また十六行相を具足に修行することができる。つまり、苦諦のみを観察しただけでは暖法善根は現れることができず、苦諦と集諦を観察しただけでも暖善根は現れることができず、さらに滅諦を観察してもまだ暖法善根は現れることができず、四聖諦のすべてを観察して初めて、暖法善根が現れるのである。

五蘊の苦聖諦を観察し、四種の行相、すなわち無常・苦・空・無我を修行し、五蘊の集聖諦を観察し、四種の行相、すなわち苦集の生じる因、苦がどのように招き集められるか、苦集がどのように生じるか、苦は何を縁として生じるかを修行し、滅聖諦を観察し、四種の行相、すなわち苦がどのように息滅するか、苦が滅した後は寂静であること、寂静は最も微妙な境界であること、寂静の後は苦を離れることを修行し、道聖諦を観察し、四種の行相、すなわち滅苦のために修める道を観察すること、修める道が真実の理に契合すること、身口意行が四聖諦の理に契合して涅槃に趣向すること、三界を出離して永遠に解脱を得ることを修行する。ここに涉及するすべての修習内容には差別があり、これらの差別相については後に弁論する。

原文:此暖善根。下中上品。渐次增长。至成满时。有善根生。名为顶法。此转胜故。更立异名。动善根中。此法最胜。如人顶故。名为顶法。或由此是。进退两际。如山顶故。说名为顶。此亦如暖。具观四谛。及能具修。十六行相。

解釈:この暖法善根が下品から中品へ、さらに中品から上品へと、次第に増長して円満に達したとき、別の善根が生じ、これを頂法善根と名づける。頂法善根がますます殊勝になると、別の名前に改める。この絶えず増長する善根の中で、頂法は最も超勝しており、人の頭頂のようであるので、頂法と名づける。頂法と名づけるのは、また頂法が進退の両者の間にあり、前は進み、後は退くことであり、頂法は山頂のようであるので、頂法と名づけるのである。頂法善根の段階でも暖法と同様に、四聖諦を具足に観察し、また十六行相を具足に修行することができる。

原文:如是暖顶二种善根。初安足时。唯法念住。以何义故。名初安足。谓随何善根。以十六行相。最初游践四圣谛迹。后增进时。具四念住。诸先所得。后不现前。于彼不生钦重心故。

解釈:このような暖法と頂法の二つの善根は、最初に生じるとき、法念住を修習しているときにのみ現れる。どのような缘故で初安足と言うのか。これは、いかなる善根に伴って、十六種の行相をもって最初に四聖諦の跡に遊践するかという意味である。暖・頂法善根が増進した後は、四念住の修習が具足する。これより前に修得した法は、以後現前しなくなる。先に修めたそれらの法に対して、心に特に重んじる思いが生じないためであり、それらの法は比較的粗浅で、すでに越えて修める必要がなくなったためである。

<h3 style="text-indent: 2em;">第二節 忍善根と世第一善根
</h3>

原文:此顶善根。下中上品。渐次增长。至成满时。有善根生。名为忍法。于四谛理。能忍可中。此最胜故。又此位忍。无退堕故。名为忍法。此忍善根。安足增进。皆法念住。与前有别。然此忍法。有下中上。下中二品。与顶法同。谓具观察。四圣谛境。及能具修。十六行相。

解釈:頂法善根が下品から中品へ、さらに中品から上品へと、次第に増長して成熟円満に達したとき、他の善根が生じ、これを忍法と名づける。苦集滅道の四聖諦の理を忍可できる善根の中で、この忍法が最も勝れている缘故で、忍法と名づける。また、この忍位はもはや退堕して戻ることがない缘故で、忍法と名づける。四聖諦の理の修習過程において、四聖諦の理を容忍・安忍・忍可・認可できるものは、忍法善根が最勝品であり、この忍位において、心は四聖諦の理に対して退堕することがないので、忍法と名づけるのである。

この忍法善根が最初に生じ、次第に増進するのは、いずれも法念住を修しているときに現れるものであり、前の三つの念住を修めても、まだ忍法善根を生じることはできず、忍法善根は雑修によって生じるものではない。これは前の暖と頂の善根と区別がある。この忍法善根も下・中・上の三品に分けられ、下・中の二品は頂法と同じく、いずれも四聖諦の理を具足に観察し、また十六行相を具足に修習する。

上の文から知られるように、忍法善根は退転して四聖諦の理を認めなくなることはなく、暖法と頂法善根は退転して戻る可能性がある。つまり、すでに生じた順決択分が失われる可能性があり、内に順決択分がなくなり、四聖諦の理に随順せず、苦集滅道の理を受け入れなくなる。智慧に退堕がある。その原因は数多くあり、いかなる因縁も智慧の退堕を招きうる。業障の大きい者は、仏を信じ仏を学ぶことをやめてしまう可能性もある。しかし業障の関が過ぎ去った後、再び仏を学び修行する勇気と信心を燃やし起こすかもしれず、再び暖法と頂法善根を修出する可能性もあるが、忍法善根まで修めたときには退転して戻ることはない。

四種の善根はいずれも修慧に属し、修行によって得られた智慧であるので、聞慧と思慧は退堕することができ、堅固ではない。修慧の前半も退堕することができ、堅固ではない。修慧の後期に至って、智慧は初めて堅固となり、退堕しなくなる。ならば一旦見道して実証した後は、なおのこと退堕することはない。見道以後、禅定は退する可能性があるが、見道の智慧は永遠に退せず、果位は退しない。三果まで修めたとき、初禅定は退するかもしれず、永遠に保持することはできないが、三果の解脱の智慧と功徳は永遠に退せず、果位は退しない。見道以前には、禅定は退しないかもしれないが、智慧は退する可能性があり、智慧が退すれば善根も退する。禅定のいかんにかかわらずである。

原文:上品有异。唯观欲苦。与世第一。相邻接故。由此义准。暖等善根。皆能具缘三界苦等。义已成立。无简别故。谓瑜伽师于色无色。对治道等。一一圣谛。行相所缘。渐减渐略。乃至但有二念作意。思惟欲界苦圣谛境。齐此以前。名中忍位。从此位无间。起胜善根。一行一刹那。名上品忍。此善根起。不相续故。上品忍无间。生世第一法。

解釈:忍法善根の上品は頂法と差別があり、上品は欲界の苦のみを観察し、世間第一法と緊密に隣接している。この義理から、暖・頂・忍などの善根が現れるとき、いずれも三界の苦などの四聖諦を具足に縁ずることができるという義理が心の中にすでに確立されており、さらに揀別を加える必要はない。そこで瑜伽行者は、色界と無色界の修道の四聖諦の対治方法に対して、それぞれの聖諦の行相所縁は次第に減少し簡略化され、ついには最後に二つの念の作意のみとなって、欲界の苦聖諦の境界を思惟する。

これより以前を中忍位と名づけ、中忍位から無間断にさらに殊勝な善根が生じ、それぞれの行、それぞれの刹那を上品忍と称する。忍法が最初に生じたとき、善根は相続せず、上品忍まで修めると、善根は無間断となり、このとき世間第一法が生じる。

原文:如上品忍。缘欲苦谛。修一行相。唯一刹那。此有漏故。名为世间。是最胜故。名为第一。此有漏法。世间中胜。是故名为。世第一法。有士用力。离同类因。引圣道生。故名最胜。

解釈:世第一法は上品忍と同様に、欲界の苦聖諦を縁とし、十六種の行相のうちのそれぞれの行相を修め終えるのに、ただ一刹那の時間で完成する。しかしこの善根は有漏であるので、世間と名づけ、世間の中で最も殊勝であるので、第一と名づける。この有漏法は世間の中で最も殊勝であるので、世間第一法と言うのである。この世第一法は大きな用があり、凡夫の同類の因を離れ、聖道の生起を引き起こすことができるので、最勝と名づける。

世第一法はまだ世間の中の法に属するが、世間法の中で最も殊勝であり、その後は出世間法の証聖の預流果であり、出世間とは解脱に向かうことであり、次第に三界を離れ、次第に涅槃に趣く。それゆえ四加行は見道前のスパート段階であり、また準備段階でもある。

原文:如是暖等。四种善根。念住性故。皆慧为体。若并助伴。皆五蕴性。然除彼得。勿诸圣者。暖等善根。重现前故。此中暖法。初安足时。缘三谛法。念住现在。修未来四。随一行相。修未来四。缘灭谛法。念住现在。修未来一。随一行相现在。修未来四。

解釈:このような暖・頂・忍・世間第一の四種の善根は、いずれも念住の性がある缘故で、いずれも智慧を体とし、智慧の性を具えている。四善根は助伴と合わせると、いずれも五蘊の性に属し、識蘊が具える善根と智慧である。しかし得法得道者を除き、その他はまだ諸聖賢者に属さず、暖などの四善根が再び現前し、加行位に処している缘故で、四善根の後の見道者こそ聖者に属する。そのうちの暖法が最初に現れるときは、苦集滅の三聖諦法を縁とし、現在の身受心法に念住し、未来世の身受心法を修め、四聖諦のそれぞれの諦の中のそれぞれの行相に随って、未来世の身受心法を修める。また滅諦の一法を縁とし、現在の身受心法に念住し、未来世の法念住を修め、四聖諦の中のいずれかの現在の行相に随って、未来世の身受心法を修める。

原文:由此种性。先未曾得。要同分者。方能修故。后增进时缘三谛。随一念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。缘灭谛法。念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。由此种性。先已曾得。不同分者。亦能修故。

解釈:この声聞の種姓の人は、先に暖法を得たことがなく、同じ善根を具える者でなければ修習できない。後に善根が増進したときは、苦集滅の三諦を縁とし、現前の一念住に随って未来の四念住を修習し、四聖諦の現前のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。滅諦法を縁とし、現前の念住において未来の四念住を修習し、滅諦のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。この種姓が先にすでに暖法を得ている缘故で、異なる分位に処する人もまた修習することができる。

原文:顶初安足。缘四谛法。念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。后增进时。缘三谛。随一念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。缘灭谛法。念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。

解釈:頂法善根が生じたばかりのときは、四聖諦法を縁とし、現前の法に念住して未来の四念住を修習し、四聖諦の現前のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。後に増進したときは、苦集滅の三諦法を縁とし、現前の一念住に随って未来の四念住を修習し、現前のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。滅諦を縁とし、現前の念住において未来の四念住を修習し、滅諦の現前のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。

原文:忍初安足。及后增进。缘四谛法。念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来十六。然于增进。略所缘时。随略彼所缘。不修彼行相。世第一法。缘欲苦谛法。念住现在。修未来四。随一行相现在。修未来四。无异分故。似见道故。

解釈:忍法が最初に生じたとき、および後に増進したときは、四聖諦法を縁とし、現前の念住において未来の四念住を修習し、四聖諦の現前のそれぞれの行相に随って、未来の十六行相を修習する。しかし忍法が増進した後、いくつかの所縁法を略するときは、略した所縁法に随って、この法の行相を修めなくなる。世第一法は欲界の苦聖諦を縁とし、現前の念住において未来の四念住を修習し、苦諦の現前のそれぞれの行相に随って、未来の四行相を修習する。もはや他の分位がない缘故で、この位は見道位と比較的似ているが、結局まだ見道ではない。

原文:论曰。此暖顶忍。世第一法。四殊胜善根。名顺决择分。依何义建立顺决择分名。决谓决断。择谓简择。决断简择,谓诸圣道。以诸圣道。能断疑故。及能分别。四谛相故。分谓分段。此言意显。所顺唯是见道一分。决择之分。故得决择分名。此四为缘。引决择分。顺益彼故。得顺彼名故。此名为顺决择分。如是四种。皆修所成。非闻思所成。唯等引地故。

解釈:論に曰く、この暖・頂・忍・世間第一法の四種の殊勝善根を、順決択分と名づける。これはいかなる義理に依って順決択分の名を建立するのか。決とは決断の意味であり、択とは揀択分別の意味である。決断揀択とは諸聖道法を言い、諸聖道は疑惘を断除することができ、また四聖諦の相貌を分別することができる缘故である。分とは分段の意味であり、言葉はすでに意趣を示している。順ずるところはただ見道の一分、決択の分位のみであるので、決択分の名を立てる。

暖・頂・忍・世間第一法の四善根を縁として決択分を引き起こし、聖道に順従して增益する缘故で、順従決択分の名を得た。それゆえ順決択分と名づけるのである。このような四種の善根はいずれも修所成慧であり、聞所成慧と思所成慧ではなく、ただ等引地に摂されるのみである。

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