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座禅三昧経講義

作者: 更新時間:2025-07-12 00:47:13

原文:問う。如何にして親族を思う覚観を除くべきか。答えて曰く。かくの如く念ずべし。世界の生死の中においては、自らの業縁に牽かれる。何者が親なるか。何者が親ならざるか。ただ愚痴なるが故に、横に着心を生じ、我が親なりと計る。過去世においては親ならざるものを親とし、未来世においては親ならざるものを親とする。今世は親なり。過去世は親ならず。譬えば鳥が夕暮れに一本の樹に集い、朝飛びて各々縁に随って去るが如し。家の親族もまた是の如し。生を世界の中に受けて、各々心を異にす。縁会うが故に親しく、縁散ずるが故に疎し。定まった実は無し。因縁果報、共に相い親しむ。

解釈:問う。如何にして親族を思う覚観を除くべきか。答えて曰く。かくの如く念ずべし。この娑婆世界の生生死死の中においては、全て自らの業縁に牽かれる結果なり。誰が親なるか、誰が親ならざるかは、全て愚痴なるが故に心に強く我が親族なりと執着する。過去世においては親族ではなかったが、今世では親族となり、未来世では親族ではなくなる。今世は親族なり。今世は親族なれども過去世では親族ではなかった。譬えば飛ぶ鳥が夕方一つの樹に集い、朝には各々縁に随って飛び去るが如し。家の親族もまた是の如し。一つの世界に生を受けても、一人一人心は異なり、一つにはならず。因縁が集う時は親族なり、因縁が散ずれば疎くなる。固定した真実の因縁果報は無く、いわゆる親族を互いに親しくさせるものはない。

原文:譬えば乾いた砂を、手で握って丸める。手で掴む縁の故に合い、手を放す縁の故に散ずる。父母が子を養う。老いて当に報いを得べし。子は父母の懐に抱かれ、養育されたが故に応に報いるべし。若しその意に順うならば親なり。若しその意に逆らうならば賊なり。親でありながら益せずして却って害する者あり。親ならずとも損せずして大いなる益ある者あり。人は因縁の故に愛を生じ、愛は因縁の故に却って断たる。譬えば画師が婦女の像を作り、還って自らこれを愛着するが如し。此れもまた是の如し。自ら染着を生じ、外に染着する。

解釈:譬えば乾いた土砂を手で握って団子にする。手で握る因縁によって一つに和合するが、手で握る縁が失せれば砂の団子は散る。父母は子を養育したが故に、老いて子の報いを得るべきなり。子は父母の恩養を受けたが故に、父母の恩に報いるべきなり。もし相手の意志に順うならば親なり、もし相手の意志に背くならば賊人なり。ある親族は益どころか却って害あり、ある者は親族でないのに損せずして大いなる益あり。人は皆、ある因縁によって愛意を生じ、愛は因縁によって生じたが故に、縁が散れば断たれる。譬えば画師が一人の女性の像を描き、その後自らその女性像に貪愛を生ずるが如し。家の親族もまた是の如し。皆自ら生じた染汚の愛心によって外縁に貪り染着する。

原文:過去世の中に汝に親族ありき。今世において汝に、復た何を為さん。汝もまた過去の親に益すること能わず。過去の親も汝に益せず。両者相い益せず。空しく之を親なりや親ならざるなりやと念ず。是れ親ならざるなり。世界の中は定まらず無辺なり。阿羅漢が新たに出家してなお親を恋う弟子を教うるが如く言う。悪人が食を吐き出して、更に還って啖わんと欲するが如し。汝もまた是の如し。汝は既に出家を得たり。何を以て還って愛着せんとする。剃髪染衣は解脱の相なり。汝は親族に着するが故に解脱を得ず。還って愛に繋がれる。三界は無常。流転定まらず。若し親なりや親ならざるなりや。今は親族なりと雖も、久しければ則ち滅す。是の如く十方の衆生は回転し、親族定まらず。是れ我が親ならず。

解釈:過去世の中に汝も親族ありしが、今世において汝に尚何を為さん。汝も過去世の親族に何の益も為し得ず、過去世の親族も汝に何の益も為さず。互いに何の益も為し得ず。心に空しく親か否かを念じ、空しくして得る所無し。世界の中の不定の要素は無量なり。

例えば阿羅漢が新たに出家したばかりでなお親を恋う弟子を教えて曰く、胃の具合が悪くて飲食を吐き出した者が、尚食べ戻そうとするが如し、汝もまた是の如し。汝は今既に出家せり。何を以て尚親族を貪愛するのか。髭や髪を剃り染衣を着るは解脱の相なり。汝は親族に貪着して解脱を得ず、尚貪愛に繋縛される。三界の世間は皆無常の法、生死流転して定まらず。親なるか否かは皆不定なり。今世は親族となるも、長い時を経ればならなくなる。故に十方の衆生は生死輪廻し、親は定まらず、則ちそれは親族ではない。

原文:人が死なんとする時。心無く識無し。直視して転ぜず。気を閉じて命絶ゆ。闇の坑に堕つるが如し。是の時の親族。家族は何処に在るか。若し生まれ初めの時、前世は親ならず。今強いて和合して親と為す。若し死なんとする時は復た親ならず。是の如く思惟して、親に着すべからず。人の児の死するが如し。一時に三つの所の父母。俱に時に啼哭す。天の上の父母妻子を誑かす。人中に於いても亦た誑かされる。龍中の父母も亦た誑かされる。是の如く種種の正観を以て、親族を思う覚観を除く。

解釈:人が死なんとする時は、心識無く、目は直視して動かず、気は止み命は絶え、暗黒の大坑に堕つるが如し。この時、汝の家の親族は何処に在るか。もし生まれ初めた時、前世は皆親族ではなかったが、今世は無理に集まって親族となった。死ぬ時にはまた親族ではなくなる。この様に思惟すれば、親族に貪着すべきではない。例えばある者が幼くして死ねば、三つの所の父母が同時に泣く。天上の父母妻子は欺かれ、人中の父母妻子は欺かれ、龍中の父母妻子も欺かれる。この様に種々の正しい観行を以て親族を思う覚観を除くことができる。

原文:問う。如何にして国土を思う覚観を除くべきか。答えて曰く。行者若し念う。是の国土は豊かに楽しく安穏なり。多くの善き人あり。恒に国土を思う覚観の縄に牽かれて、罪の処に将ち去らん。覚観の心是の如し。若し智ある人あれば応に念着すべからず。何となれば。国土には種々の過罪あり。焼かれる所の時節転ずる故に。亦た飢餓あり。身は疲極する故に。一切の国土は安きもの無常なり。

解釈:問う。如何にして国土や故郷を思う覚観を除くべきか。答えて曰く。修行者がもし心に念う、この国土は豊かで安穏にして楽しく、多くの善き人ありと。それならば常に国土を思う覚観の縄に牽かれ、罪悪の処に縛られん。覚観の心は是の如く人を繋縛する。もし智慧ある者ならば国土を念着すべきではない。何故国土をかくの如く念着すべきではないのか。国土には種々の過罪あり、焼き払われたり、因縁や時劫が変われば国土も変わる故なり。亦た飢饉の時あり、民衆は飢えに苦しみ、身体は疲れ弱り力無しなど。一切の国土世間には恒常の安楽なるもの無し。

原文:復た次に老病死の苦。国無くして有らざるは無し。此の間の身の苦より去りて、彼の処に身の苦を得る。一切の国土は去るも苦無きは無し。仮に国土安穏にして豊かに楽しくあれども、而も結使の悩みあり。心に苦患を生ず。是れ好ましき国土にあらず。雑悪を除く能う国土。結使を薄くし、心をして悩ませざらしむるを。是れを好ましき国土と謂う。

一切の衆生に二種の苦あり。身の苦心の苦。常に苦悩あり。此の二つの悩み無き国土無し。復た次に。国土大寒の有り。国土大熱の有り。国土飢餓の有り。国土病多き有り。国土賊多き有り。国土王法理めざる有り。是の如く種種の国土の悪。心は応に着すべからず。是の如く正観して、国土を思う覚観を除く。

解釈:更に言えば、生老病死の苦は一つの国土も無きは無し。一つの世間から身苦を去っても、他の世間に行けばまた身苦あり。一切の国土に苦無きは無し。仮に安穏にして楽しい国土有りとせよ、されど自ら内心に煩悩結使あれば、尚心に苦患を生ずる。故にこの国土も好ましき国土ではない。雑悪なる業行を除く能う国土、衆生をして貪瞋痴の煩悩結使を薄くし、衆生の心に害悩無からしめる国土こそが好ましき国土なり。

一切の衆生には二種の苦あり。身苦と心苦なり。故に常に苦悩あり。一つの国土も此の二種の苦悩無きは無し。また言えば、ある国土には大寒あり、ある国土には大熱あり、ある国土には飢餓の現象あり、ある国土には災病多き現象あり、ある国土には盗賊多き現象あり、ある国土には国法不合理の現象あり。是の如く種々の国土の過患悪患あり。故に心は国土を念着すべきではない。此の様に正しく国土を思惟観察すれば、国土や故郷を思う覚観を除くことができる。

原文:問う。如何にして不死を思う覚観を除くべきか。答えて曰く。応に行者を教うべし。若し良き家に生まれ。若し種族の子にして才技力勢人に勝る。一切念うべからず。何となれば。一切の死する時は。老少貴賤才技力勢を観ず。是の身は一切の憂悩諸因縁の因なり。自ら見る所の多少の寿。若し安穏を得んとす。是れ痴人と謂う。何となれば。是れ憂悩の因は此の四大に依る。四大の造る色は四つの毒蛇の如し。相い応ぜず。誰か安穏を得ん。出息の期に入るは是れ信ずべからず。

解釈:如何にして永遠に死なないことを願う覚観を除くべきか。答えて曰く:修行者に教うべし。もし良き家に生まれ、もしその家の種族の子孫の才能、技術、勢力が人に超勝するも、此れら一切を心に念うべからず。何故念うべからざるか。一切の者が死ぬ時は、老いようと若かろうと、貧富貴賤、才能技芸勢力の有無を問わず、一律に死なねばならぬ。この五陰身は一切の憂悲苦悩の因縁の集まる処なり。故に自ら尚少し長生きすれば安穏快楽を得られると考えるなら、それは愚痴人なり。何故かく言うか。憂悲苦悩の因縁は四大に依って有るが故なり。四大が色身を造るは、四匹の毒蛇が一緒にいるが如く、互いに調和せず、誰が安穏を得られようか。この息が出て、尚再び入ることを期待するは、当てにならぬ。

原文:復た次に人睡る時。必ず覚むるを期す。是の事信じ難し。胎を受けて老いに至るまで。死の事は恒に来る。死を求むる時節に。常に不死なりと言う。如何にして信ずべきか。譬えば人を殺す賊。刀を抜き矢を注ぐ。常に人を殺すを求めん。憐愍の心無し。人、世間に生るるに。死の力は最大。一切勝るもの無し。死の力の強きは。若し過去世の第一の妙人も。此の死を脱する能わず。現在も亦た大智の人無く。死に勝つ能う者無し。亦た柔らかなる言葉で求めても。巧みな言葉で誑かしても。避けて脱することを得ず。亦た戒を持ち精進するも。此の死を退ける能わず。是の故に当に知るべし。人は常に危うく脆し。恃むべからず。常なることを計らい、我が寿は久しく活くを信ずるなかれ。是の諸の死の賊は。常に人を将ち去らん。老い果つるを待たずして。然る後に当に殺さんとす。

解釈:更に言えば、人が眠った後、自ら必ず目覚めると望むも、この事は予測し難い。胎を受けて生まれ老いるまで、死などの煩悩事も絶えず現れる。死ぬべき時に、常に死なずに済むことを願う、これ如何にして信じられようか。譬えば人を殺す賊人が抜刀し相対し、剣を抜き弩を張り、常に人を殺さんとするが如く、憐愍の心無し。死の賊もまた是の如し。人、世に生きるに、死の力は最大なり。全ての一切、死の力より強大なるものは無し。過去世の最勝妙なる人すら死を逃れず、現在すら大智慧人も死に勝つことはできない。死は汝が柔らかな言葉で求め得るものではなく、巧みな舌で欺き誑かして逃れ得るものでもなく、戒を持ち精進修行して防ぎ得るものでもない。故に当に知るべし、人は甚だ危うく脆し。依り頼むべからず。自らが長寿で長く生きられると信頼し期待するなかれ。死の賊は常に人を捕らえんとし、老いるを待たずして自らを殺す。

原文:阿羅漢の諸の覚観に悩まされる弟子を教うるが如く言う。汝は如何にして世を厭い道に入るを知らざるか。如何にして此の覚観を為すか。人あって未だ生まれずして死す。生まれて死す者有り。乳を哺む時に死す者有り。乳を断つ時に死す者有り。小児の時に死す者有り。盛壮の時に死す者有り。老いたる時に死す者有り。一切の時の中間に死の法界あり。譬えば樹の華。華の時に堕つ。果の時に堕つ。未だ熟せざる時に堕つ。是の故に当に知るべし。勤めて力精進して安穏の道を求めよ。

解釈:阿羅漢が覚観の賊に悩まされる弟子を教えて曰く、汝は何故世を厭離し速やかに道に入るを知らぬのか?何故常に自ら死なず長生不老を願う覚観を抱くのか?ある者は未だ生まれ出ずして死に、ある者は生まれて直ぐに死に、ある者は乳を哺んでいる時に死に、ある者は乳離れした時に死に、ある者は小児の時に死に、ある者は盛壮の年に死に、ある者は老いて死ぬ。一切の時中、死の時節は定まらず。譬えば樹上の花、開花時に落ちるもあり、実る時に落ちるもあり、実が熟さぬ時に落ちるもあり。故に当に精勤に精進し、真の安穏の道を求めよ。

原文:大力の賊と共に住するは信ずべからず。此の賊は虎の如く巧みに身を覆い隠す。是の如く死の賊は常に人を殺すを求む。世界の所有は、空しきこと水の泡の如し。如何にして当に言わん。時を待って道に入らんと。誰か証し得て言わん。汝必ず老いて行道を得んと。譬えば険しき岸の大樹の上に大風有り。下に大水有りて其の根土を崩す。誰か此の樹の久しく住するを得んと信ぜん。人の命も亦た是の如し。少時の間も信ずべからず。父は穀の種子の如し。母は良き田畑の如し。先世の因縁。罪福は雨の恵みの如し。衆生は穀の如し。生死は収穫の如し。

解釈:死の大力賊と共に住むは信頼すべからず。この賊人は虎の如く巧みに自らの色身を隠す。是の如く死の賊は常に人を殺さんと探す。世界の全ては空しきこと水の泡の如し。如何にして必ず時が来てから修道すると言えようか?誰が汝が必ず老いるまで生き、その時になって初めて修道できると保証できようか?譬えば危険な崖の上に一本の大樹あり、上には大風が吹き、下には大水が樹の根の土を崩す。誰が此の樹が長く住世するを信じられようか?人命もまた是の如し。少しの時も信ずべきではない。父は穀物の種子の如く、母は良き田地の如し。前世の罪福の業因縁は雨露の潤しの如く、人命が生ずる。衆生は穀物の如く、生死は収穫の如し。

原文:種々の諸天の天子人王の智徳。天王が天を佐け、諸の阿須倫の軍を破るが如し。種々の楽しみを受く。極めて高く大いなる明。還って没するは暗黒の中に。是の故に命の生きんとするを信ずるなかれ。我今日は此れを為さん。明日は是れを為さんと。是の如く正観種々にして。不死を思う覚観を除く。是の如く先ず粗き思惟の覚観を除き、却って後ち細かなる思惟の覚観を除く。心清浄にして生じて正道を得。一切の結使尽き、此れより安穏の処を得。是れ出家の果と謂う。心自在を得。

解釈:種々の諸天の天子、人王の智慧德行は、忉利天王が天子を率いて阿修羅の軍を破るが如く、種々の享楽、智慧は極めて高く英明を示すも、尚おのれ暗黒の深き坑に沈む。故に命尚健在の者が言う、我今日は此の事を為さん、明日は彼の事を為さんと、信ずるなかれ。

此の様に種々正しく思惟観察すれば、不死を願う覚観を除くことができる。是の如く先ず粗い覚観を除き、次に細かい覚観を除く。心清浄にして後、初めて道果を証得し、一切の煩悩結使を消滅することができる。此れより安穏の処に至る。是れ即ち出家の果徳なり。心は大いなる自在を得る。

原文:三業第一清浄。復た胎を受くこと無し。種々の経を読み多く聞く。是の時に報果を得。是の如く得る時。空しく魔王の軍を破らず。便ち第一を得。勇猛なる名称。世界の中にて煩悩に将ち去らるるは。是れ健やかと名づくらず。能く煩悩の賊を破り、三毒の火を滅し、涼しく楽しく清浄なる、涅槃の林の中に安穏にして高枕たり。種々の禅定。根・力・七覚支。清風四辺より起こり、衆生を顧み念う。三毒の海に没す。徳妙の力是の如し。乃ち健やかと名づく。是の如き等の散心。当に阿那般那を念ずべし。六種の法を学び、諸の思惟の覚観を断つ。是の故に数息を念ず。

解釈:身口意の三種の業行が最清浄に達すれば、再び胎を受けて生まれず。三界の法に貪愛無く、執着無ければ、三界の業は消滅し、業無ければ生を受けて胎に宿らず。種々の経文を読誦し、広く学び多く聞き、修めること一定の程度に達すれば修行上の業報果を得る。果報を得る時、貪欲瞋恚を断てば、魔王の軍を破り、魔王を降伏せしめ、第一勇猛の名称を得る。世界に生きるは煩悩に繋縛され、有力の健将とは言わず。能く煩悩の賊を破り、貪瞋痴の三毒の火を滅し、心は清涼寂静を得、涅槃の林の中に安穏にして住し、高枕にして憂い無く、種々の禅定を具足し、五根・五力・七覚分を具足し、尚衆生が三毒の海に没するを顧み憐れむ、威徳妙力が此の如きに至るを、乃ち勇健と名づく。

もし種々の散乱心有らば、当に阿那般那を念じ、六種の妙法を学び諸々の覚観を断つべし。故に数息法を念ずべしと説く。

原文:問う。若し余の不浄観・念仏・四無量心観等の中に於いても、亦た思惟の覚観を断つことを得。何を以て故に独り数息を念ずるか。答えて曰く。余の観法は緩やかにして失い難きが故に。数息法は急にして転じ易きが故に。譬えば牛を放つ。牛は失い難きが故に、守ることは事少なし。猿を放つが如く、失い易きが故に、守ることは事多し。此れも亦た是の如し。数息は心が数を数えるに、少時の他念も許されず。少時他念すれば則ち数を失う。是の故に初め思惟の覚観を断つには応に数息を念ずべし。

解釈:問う。もし他の方法、例えば不浄観、念仏等の四種の観想法を用いても思惑覚観を断つことができるのに、何故数息法だけを学ぶのか?答えて曰く:他の観行方法は緩慢にして、思惑覚観を除くことが難しい。数息法は迅速にして、覚観が容易に転換される。譬えば牛を放牧するは、牛は走り回らず、守るは容易で、力を要せず。猿を放牧するは、猿は走り回り易く、故に多く心を用いて見守らねばならぬ。数息法もまた是の如し。数息する時、心は数を数えるに一刹那も他の事を念じることは許されず、さもなければ数を忘れる。故に多く心を用い専心して数息し、雑念無くせねばならぬ。故に最初に思惟の覚観を断つには数息法を用いるべきなり。

原文:既に数法を得たり。当に随法を行ふべし。諸の思惟の覚観を断つ。入息が終わらんとするに至りて。当に随うべし。一を数うる莫れ。出息が終わらんとするに至りて。当に随うべし。二を数うる莫れ。譬えば負債の人。債主が随い逐う。初めより離れず。是の如く思惟す。是の入息は還るなり。出息は更に異なる。出息は還るなり。入息は更に異なる。是の時知る入息は異なり。出息は異なり。何となれば。出息は暖かく入息は冷たし。

解釈:数息して心が清浄に静まり、数が乱れなくなった後、修習すべきは随息法なり。以て覚観思覚を断つ。随息法は、入息が終わる時は息の運行に随い、一を数えることを止めよ。出息が終わる時は息の運行に随い、二を数えることを止めよ。譬えば借金のある人(入出息に譬える)、債主(心念に譬える)が後を追い一瞬も離れず。

入息と出息に随い、思惟判断すべし今は入息か出息か、入出息に何の差別があるか、今は出息か入息か、尚何の差別があるか。此の時は入息は出息と異なり、出息は入息と異なることを知るべきなり。何故ならば出息は気が暖かく、入息は気が冷たい故なり。

原文:問う。入出息は一つの息なり。何を以て故に。出息は還って更に入る故に。譬えば水を含めば水は暖かく、水を吐けば水は冷たし。冷たき者は還って暖かく。暖かき者は還って冷たし故に。答えて曰く。然らず。内心動くが故に息出づ。出でて已に即ち滅す。鼻口が外を引けば則ち息入る。入るが故に息滅す。亦た出さんとするも無く。亦た入らんとするも無し。復た次に少壮の老人。少者は入息長し。壮者は入出息等し。老者は出息長し。是の故に一つの息にあらず。

解釈:或る者問う:一入息一出息合わせて一呼吸なり。何故かく言うか?出息の後は尚入息がある故に、出息のみでは終わらぬ。譬えば口に水を含めば水は暖かく、口から水を吐けば水は冷たし。冷水は尚暖かくなり、暖水は尚冷たくなる。答えて曰く:然らず。内心が動く時息が出る。出てしまえば息は無くなる。鼻口が外気を吸えば息が入る。入れば息は滅する。全く息が出たり入ったりすることはない。更に言えば、小児、青壮年、老人の入出息は皆異なり、小児は入息が出息より長く、青壮年は入息と出息が同じ長さ、老人は出息が入息より長い。故に入出息は一つの息脈ではなく、一呼吸ではない。

原文:復た次に臍の辺の風発す。相似相続す。息出でて口鼻の辺に至る。出でて已に便ち滅す。譬えば韛囊(ふいご)の中の風、開く時即ち滅す。若し口鼻の因縁を以て之を引けば則ち風入る。是れ新たなる因縁の辺より生ず。譬えば扇、衆の縁合うが故に則ち風有り。是の時知る入出息は因縁有りて有り。虚誑にして真ならず。生滅無常なり。

解釈:復次、臍の辺の風が発動する時、連続して上に排出されれば息が出る。口鼻の処に至る時、更に出れば滅して無くなる。譬えば韛囊(ふいご)の中の風、韛囊が開く時、風は消える。もし口鼻で風を引き寄せれば、風は鼻に入る。すると入息は新たな因縁によって生じる。譬えば扇子は多くの因縁が和合して風が出る。思惟観察して此れに至る時、入出息は皆因縁有りて生じる法、因縁によって生じる法なり。虚誑にして真実ならず、生滅無常にして変異する。

原文:是の如く思惟す。出息は口鼻の因縁に由って引かれて有り。入息は因縁有りて有る。心動きて生ぜしむ。而るに惑う者は知らず。以て我が息なりと為す。息とは是れ風なり。外の風と異ならず。地水火空。亦た是の如し。是の五大の因縁。合うが故に識を生ず。識も亦た是の如し。我が有に非ず。五蘊十二入十八界。亦た是の如し。

解釈:是の如く思惟すべし。出息は口鼻の因縁によって引き出され、入息の因縁が有る。皆心念の波動によって、出息入息の現象が生じる。而して心に惑う者は知らず、出入息が即ち自らの息脈と思い込む。

所謂る息とは風なり、身体外の風と差別無し。身体内の地水火空もまた是の如く、身体外の地水火空と差別無し。此の五大の因縁が和合すれば六識が生ずる。五大は色声香味触法を形成し、六塵が現れれば、六識は根が塵に触れて生じる。故に六識もまた因縁によって生じ、我(意根)の所有に非ず。五蘊、十二入、十八界もまた是の如く、因縁によって生じ、我(意根)の所有に非ず。

原文:是の如く之を知る。息の入るに随い息の出るに逐う。是を以て随と名づく。既に随法を得たり。当に止法を行ふべし。止法とは。数は心に随いて極まる。意を風門に住せしめ。入出息を念ず。

問う。何を以て故に止むるか。答えて曰く。諸の思惟の覚観を断つが故に。心散らざるが故に。数息・随息の時。心定まらず心多きに劇しきが故に。止すれば則ち心閑かにして事少なし。心一処に住するが故に。息の出入りを念ず。譬えば門番が門の辺に住み、人の出入りを観るが如し。止心もまた是の如し。息の出づる時を知る。臍より心胸・咽を経て口鼻に至る。息入る時。口鼻より咽・胸心を経て臍に至る。是の如く心を一処に繋ぐ。是れを止と名づく。

解釈:是の如く知るべし。心念が息の入るに随い息の出るに逐う、是れを随息と謂う。随息法を修し終えた後、当に止息法を修習すべし。止息法とは数息・随息を運行すること暫くして、心が疲労し動きたくなくなった時、全ての注意を風息の出入る処に集中し、心念を出入息に専一にし移動せしめず、再び息に随って運行せしめぬ。

或る者問う:何故心念を出入息に止めるのか?答:思覚を断ち、心の散乱を防ぐ為なり。数息・随息の時、心念は尚動転し遊移し、心の動きは激しい。心念を息の出入りに止めれば、内心は閑かになり、為すべき事は少ない。心念が一処に住し、唯息の出入りの状況に注意し、他事無ければ心は止まり易く、定は深まる。譬えば門番が門の辺に立ち人の出入りを見る、走り回る必要無く、心は安んずる。心を息の出入りに止めるも是の如し。息が出る時は臍より次第に上り、心臓、胸、咽喉を経て口と鼻の端に至る。息が入る時は口と鼻の端より始まり、咽喉、胸、心臓を経て、最後に臍に至る。是の如く心を一処に繋ぐ。是れを止息と謂う。

原文:復た次に心止法の中に住す。入息の時に五蘊の生滅異なるを観る。出息の時に五蘊の生滅異なるを観る。是の如く心乱れれば便ち除き却す。一心思惟して、観を増長せしむ。是れを観法と名づく。

風門に住するを捨つ。粗き観法を離る。粗き観法を離る。息の無常なるを知る。此れを転観と名づく。五蘊の無常を観る。亦た入息出息の生滅無常を念ず。初めの息を見る。来る所無し。次に後の息を観る。亦た跡処無し。因縁合うが故に有り。因縁散ずるが故に無し。是れを転観法と名づく。

解釈:復次、心は止息法の修行において観行に住すべし。入息の時に五蘊の生滅と変異性を観察し、出息の時に五蘊の生滅と変異性を観察す。是の如く散乱の心念を除くことができ、更に専心思惟し観行を次第に深め、第四の観法と名づく。

息の出入る処である口鼻の処を捨てて住息し、粗い観法を離れる。粗い観法を離れた後、息が無常なるを知る。是れ第五の転観なり。五蘊の無常を観、亦入息と出息の生滅無常を念じ、前の最初の息は所従来無く、後の息も跡形無しと観る。皆因縁和合によって出入息が現れ、因縁散じれば無くなる。是れ即ち転観法なり。

原文:五蓋及び諸の煩悩を除滅す。先に止を得たりと雖も。煩悩の不浄なるを観るは心雑なり。今此の浄法。心独り清浄を得。復た次に前に観たるは異学。相似の行道。息の入出を念ず。今は無漏の道。相似の行う善き有漏の道。是れ清浄と謂う。

復た次に初めに身念止分を観ず。漸く一切の身念止む。次に痛心念止を行ず。是の中は清浄ならず。無漏の道遠きが故に。今法念止の中に。十六行を観ず。入出息を念じて、暖法・頂法・忍法・世間第一法・苦法忍乃至無学の尽智を得。是れを清浄と名づく。

解釈:修習を続け、禅定と観行が益々深まるに従い、次第に貪欲・瞋恚・睡眠・掉挙・散乱の五蓋及び諸煩悩を除滅す。先に止を得、煩悩の不浄なる心念の雑染を観ることができたが、今此の清浄法を得て心は清浄を得たり。復次、以前観察した出入息の生滅変異の修学方法は相似の行道法、心念は息の出入りにあり、未だ究竟せず、無漏に達せず。今修学する無漏道は煩悩を降伏せしめ、相似の行道、善き有漏道法なり。是れを第六清浄門と謂う。

復次、初めて色身不浄を観行し、心念を身念住に止めて後、次第に色身が清浄なるに関する一切の心念は止み、色身不浄観が成就す。次に心念を受覚(受念処)に止めて観受是苦を修行し、受覚もまた不浄、無漏道には尚遠し。今法念処を修習し、心を止息せしめ、法無我を証得せんとし、十六の行相を観じ、次第に暖・頂・忍・世間第一法・苦法忍等を得、遂に四果無学の尽智を証得し、智慧をもって五陰身を滅除し、輪廻を出で解脱を得る。是れ清浄なる観法なり。

原文:是の十六分の中の初めの入息分。六種の安那般那行。出息分も亦た是の如し。一心に息の入出を念ず。若し長ければ若し短ければ。譬えば人怖れて山に走り上る。若し重きを担い負うて上気するが如し。是の如き比は息短し。若し人極まる時。安息の歓喜を得る。又利を得るが如し。獄中より出づるが如し。是の如きは息長し。一切の息は二つの処に随う。若し長き処若し短き処。是の故に息長きや息短きやと言う。

解釈:此の十六種の修行方法の中、初めは念入息の方法、六種の阿那般那修行次第あり。念出息にも六種の修行次第あり。最後に暖・頂・忍・世間第一法を得、我見を断ち証果を得る。修行中、一心に息の入ると出るときの息が長いか短いかを観察す。譬えば人が怖れて逃げる時、山を登る時、重い物を背負う時、息が下から上に運行する時は、息は皆短い。もし人が疲労極まって安息を得て心が喜ぶ時、或いは利益を得て牢獄から解放された如き時は、息は皆長い。全ての息は二つの処に随って存在する。長き処か短き処か。故に息は二種に分かれる、息長と息短なり。

原文:是の中に於いても亦た安那般那の六事を行ふ。諸の息の遍身を念ず。亦た息の出入を念ず。悉く身中の諸の出息入息を観る。覚知して遍く身中に至ることを覚知す。足の指に至るまで。遍く諸の毛孔に至る。水の砂に入るが如し。息出づるを覚知す。足より髪に至るまで。遍く諸の毛孔に至る。亦た水の砂に入るが如し。

譬えば韛囊(ふいご)に入出するも皆満つるが如し。口鼻の風の入出も亦た是の如し。身を観じて周遍す。風の行く処を見る。蓮根の孔の如し。亦た魚網の如し。復た次に、心は独り口鼻のみにあらず。息の入出を観ず。一切の毛孔及び九孔の中に於いても。亦た息の入る、息の出づるを見る。是の故に息の遍く諸身に在るを知り、諸の身行を除く。亦た入出息を念ず。

解釈:息を観察する時も次第に従って六種の阿那般那法を修習し、一切の息が遍身に満ちるを観察す。息が出るか入るかを観察する時、遍身中の出息と入息を観察し、心の覚知も遍く全身に行き渡らせ、息が運行する所に至るまで覚知せねばならず、頭から足の指先まで全身の全ての毛孔を覚知せねばならず、水が砂に浸み込む如く一粒一粒の砂を浸すが如し。息が出る時も覚知せねばならず、息が足の指先から髪の毛まで、及び遍身の全ての毛孔に至るまで覚知せねばならず、水が砂に浸み込む如く、全ての砂粒に遍く及ぶ。

譬えば一つの韛囊(ふいご)に風が入り出るも、皆韛囊を満たす。口鼻の処の風の出入りもまた是の如く全身に満ちる。遍く色身の一切処に風の運行が有るを観察し、身体は蓮根の根の孔の如く、また漁網の如く、風息が自由に出入りする。再び、心念は口鼻の処のみならず、全身の全ての毛孔中と色身九孔中に於いても息が出ると入るを観行せねばならぬ。故に息が遍く全身一切処に在ることを知る。身体が行為造作を止息する時、此の時も尚入出息を観行し続けねばならぬ。

原文:初め息を学ぶ時。若し身懈怠して睡眠し体重ければ。悉く之を除き棄つ。身軽く柔軟。禅定の心に随って喜びを受く。亦た息の入出を念ず。懈怠睡眠心重きを除き。心の軽く柔軟なるを得。禅定の心に随って喜びを受く。復た次に入息念止の中に竟る。次に痛念止を行ふ。既に身念止を得たり。実に今更に痛念止を得。実に喜びを受く。復た次に既に身の実相を知る。今心と心数法の実相を知らんと欲す。是の故に喜びを受く。亦た息の入出を愛楽するを念ず。亦た息の入出を念ず。是の喜び増長するを名づけて楽と為す。

解釈:初歩的に数息法の六種観行を修習する時、もし色身が懈怠懶惰、睡眠多く、身体が重ければ、禅定が生起すれば皆修除棄捨できる。此等の状態が除かれた後、睡眠の重い者は睡眠が減り、身体が重い者は軽くなり、身体は軽快柔軟となり、禅定が強まるに従い心は益々軽安となり、益々喜悦する。心念が息の出入りに随う時、身体上の極めて重い懈怠懶惰と睡眠を除くことができ、心が軽快柔軟となり、禅定が深まる故に内心は益々喜悦する。

復次、入息時に身念が止息し、身念処を得、更に入息時に受覚を止息する。受念処を得、既に身念が寂止した、今更に受念止を得、内心は大いに喜悦する。身念止の時、身の実相が空なるを知り、真実に喜悦を得る。復次、既に色身の実相を知る、今は幾つかの識心の実相を知りたい、故に内心は喜悦を感受する。心念も息の入ると出るに随って愛楽を生じ、心念も息の入ると出るに随って喜悦を増長する、是れ即ち楽なり。

原文:復た次に初めの心中に悦び生ずるを是れ喜と名づく。後ち遍身に喜ぶを是れ楽と名づく。復た次に初禅二禅の中の楽痛を喜と名づく。三禅の中の楽痛を受楽と名づく。諸の心行を受く。亦た息の入出を念ず。諸の心の生滅する法。心染むる法心染めざる法。心散る法心摂する法。心正しき法心邪なる法。是の如き等の諸の心の相を心行と名づく。

解釈:復次、初禅の禅定において、心が愉悦するを喜と名づけ、後に遍身に喜悦するを楽と名づく。復次、初禅と二禅の楽受を喜と名づけ、三禅の楽受を受楽と名づく。一切の心行を感受し、亦息の出入りを観行し、種々の心行の生滅性を観行し、心の染汚性と不染汚性を観行し、心の散乱と集中を観行し、心が正か邪かを観行す。是の如き心相が即ち心行なり。

原文:心喜びを作る時。亦た息の入出を念ず。先ず受くる喜びは自ら生ず。敢えて念を作らず。心敢えて喜びを作る。問う。何を以て故に敢えて喜びを作るか。答えて曰く。二種の心を治めんと欲するが故に。或いは散心或いは摂心。是の如く心を作る。煩悩を出でんことを得。是の故に法を念じて心に喜びを作る。復た次に若し心悦ばず。勧めて勉めて喜ばしむ。心摂めを作る時。亦た息の入出を念ず。設い心定まらず。強いて伏して定まらしむ。経の中に説くが如く。心定まるは是れ道なり。心散るは道に非ず。

心解脱を作る時。亦た息の入出を念ず。若し意解せず。強いて伏して解せしむ。譬えば羊が蒼耳(あざみ)の中に入る。蒼耳は身に着く。人が漸く之を出だすが如し。心解脱を作る。諸の煩悩結も亦た是の如し。是れを心念止解脱を作ると名づく。

解釈:内心が喜悦する時も息の出入りを観行せねばならず、先に感受する喜悦は自ら生じるもので、敢えて作意して念いを起こすものではない。心が敢えて喜悦を生じる。或る者問う:何故敢えて喜悦を生じるのか?答えて曰く:二種の心を対治する為なり。一つは散乱心、一つは摂持心。是の如く心を対治すれば、煩悩を修除することができる。故に息出息入を念ずれば、心に喜悦が生ずる。復次、もし心が喜悦せざれば、自らを導き喜悦を生じさせねばならぬ。心念が集中する時も息出息入を念じ、もし心が定まらざれば、強いて降伏せしめ定まらしむ。仏経に説く如く、心定まるは即ち道なり、心散るは即ち非道なり。

心が解脱せんとする時も息出息入を念ず。もし内心が解脱せんとせざれば、強いて降伏せしめ心を解脱せしむ。譬えば羊が刺の硬い蒼耳(あざみ)の草むらに入り、蒼耳が全身に付く、主人は少しずつ羊を草むらから引き出す。解脱を求めんとする時、煩悩結が身心を繋縛する、是の如く少しずつ身心を煩悩結縛から引き抜かねばならぬ。是れを心念止息して以て解脱を求むと謂う。

原文:無常を観るも亦た息の入出を念ず。諸法の無常、生滅空にして吾我無きを観る。生ずる時諸法空しく生ず。滅する時諸法空しく滅す。是の中に男無く女無く人無く作無く受無し。是れを無常観に随うと名づく。有為法の出で散ずるを観るも亦た息の入出を念ず。是れを出散と名づく。諸の有為法は現世の中に出づ。過去の因縁和合の故に集まる。因縁壊るるが故に散ず。是の如く観に随うを是れ出散観と名づく。

解釈:無常法を観行する時、同時に息出息入を観察し、諸法が無常、生滅、空、無我なるを観行す。生ずる時、諸法の空相が生じ、滅する時、諸法の空相が滅す。此の生滅現象の中に、男相無く、女相無く、人相無く、作者無く、受者無し。是れを無常観に随順すると謂う。有為法の生じ散滅を観る時も息入息出の無常を観察せねばならず、出散観と謂う。

一切の有為法は現世に生じ、過去世の業因業縁が和合して初めて現れ、因縁が散壊すれば一切の有為法は散ず。是の如く随順観行するを諸法の生じ散壊観と謂う。

原文:欲の結を離るるを観るも亦た息の入出を念ず。心諸の結を離る。是の法第一なり。是れを離欲観に随うと名づく。尽きるを観るも亦た息の入出を念ず。諸の結使の苦、在在の処に尽きる。是の処安穏なり。是れを尽きる観に随うと名づく。棄て捨つるを観るも亦た息の入出を念ず。諸の染愛の煩悩。身心五蘊の諸の有為法を棄捨す。是第一安穏なり。是の如く観るを是れ法意止観に随うと名づく。是れを十六分と名づく。

解釈:自心が貪欲結を離れるを観行する時も息入息出を観察せねばならぬ。心をして諸結縛を離れしめる法門は第一の法門なり。是れを離欲観に随順すると謂う。諸煩悩結使が滅尽するを観行する時も息入息出を観察せねばならぬ。一切法の現行に於いて諸煩悩結使の苦受が皆滅尽する処、一切法の現行処こそ安穏の処なり。是れを煩悩断尽処観に随順すると謂う。煩悩を棄捨するを観行する時も息出息入を観察せねばならぬ。一切の染汚愛着する五陰身心煩悩の有為法を棄捨する時、是第一安穏なり。是の如く観行するを法意止観法門に随順すると謂う。

以上説く所は即ち十六種の観行法門なり。

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