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座禅三昧経講義

作者: 釋生如 カテゴリ: 禅定の法門 更新時間: 2026年04月12日 閲覧数: 4926
<h2 style="text-indent: 2em;">第四章 治瞋恚法門</h2>

原文:若瞋恚偏多。当学三种慈心法门。或初习行。或已习行。或久习行。若初习行者。当教言。慈及亲爱。云何亲及。愿与亲乐。行者若得种种身心快乐。寒时得衣。热时得凉。饥渴得饮食。贫贱得富贵。行极时得止息。如是种种乐。愿亲爱得。系心在慈。不令异念。异念诸缘。摄之令还。

解釈:もし誰かに瞋恚心がいくらか偏っていれば、三種の慈心法門を修学すべきである。三種の修習者にそれぞれ分けて教導する。一つは初めて修習する人、二つ目はすでにしばらく修習した人、三つ目はすでに長く修習してきた久修行者である。

もし初めて修習を始める人であれば、自分の親しく愛する人に慈悲を及ぶよう教導すべきである。どのように親しい人に慈悲を及ぶのか、親しい人に安楽を与えたいと願うのか。この法を修習する者が、もし種々の身心の安楽を得たなら、たとえば寒い時に衣服を得、暑い時に涼しさを得、飢え渇いた時に飲食を得、貧賤な時に富貴を得、行路に疲れた時に休息を得たような、かかる種々の安楽を、親しい人に得てもらいたいと願う。心を慈に繋留し、他の雑念を生じさせない。もし心が他の縁に向かって雑念を生じたら、心を摂り戻すのである。

原文:若已习行当教言。慈及中人。云何慈及中人而与乐。行者若得种种身心快乐。愿中人得。系心在慈不令异念。异念诸缘摄之令还。

若久习行当教言。慈及怨憎。云何慈及彼。而与其乐。行者若得种种身心快乐。愿怨憎得。得与亲同。同得一心。心大清净。亲中怨等广及世界。无量众生皆令得乐。周遍十方靡不同等。大心清净。见十方众生。皆如自见在心目前。了了见之。受得快乐。是时即得慈心三昧。

解釈:もしすでにしばらく修習した人であれば、親しくもなく憎んでもいない人に慈悲を及ぶよう教導すべきである。どのように親しくも憎くもない人に慈悲を及び、彼らに安楽を与えるのか。行者がもし種々の身心の安楽を得たなら、自分の親しくも怨ましくもない人にも得てもらえるよう願う。心心念念この慈心のうちにあり、他の雑念妄想を生じさせない。もし心念が転じて雑念が生じたら、心を摂り戻すのである。

もし長くこの法を修習している人であれば、冤家や憎むべき人に慈悲を及ぶよう教導すべきである。どのように自分の憎むべき人に慈悲を及ぶのか。行者がもし種々の身心の安楽を得たなら、冤家や憎むべき人にも得てもらえるよう願う。得た安楽は自分の親しい人が得たものと同じ量である。一心にすべての人が同じ安楽を得られるよう願い、心は広大で清浄であり、親しい人と親しくも怨ましくもない人、そして冤家を等しく対遇し、慈心を世界全体にまで広げ、無量の衆生がみな安楽を得られるようにする。この心は十方世界に周遍し、みな同じ清浄な大心量である。十方の衆生を見るのは、あたかも自分の心眼の前に見えるかのようであり、すべての衆生が安楽を得ているのをはっきりと、明瞭に見る。この時にこそ慈心三昧を証得するのである。

原文:问曰。亲爱中人。愿令得乐。怨憎恶人云何怜愍。复愿与乐。答曰。应与彼乐。所以者何。其人更有种种好清净法因。我今云何以一怨故而没其善。复次思惟。是人过去世时。或是我亲善。岂以今瞋。更生怨恶。我当忍彼。是我善利。又念行法。仁德含弘。慈力无量。此不可失。

解釈:ある人が問って言う。われわれは親しい人に安楽を得させることができるが、どのように悪人を憐れみ、冤家や憎むべき人にも同じく安楽を得てもらえるようにできるのか。答えて言う。みな彼らに安楽を与えるべきである。なぜそう言うのか。これらの人の中にはさらに種々の清浄法を好む因縁があり、さらに自分を清浄にして安楽を得ることを望んでいる。わたしは今、どうして一つの怨結のゆえに、彼らの善法を奪い隠没させ、善法の利益を得させないようにできようか。

さらに思惟するに、これらの人は過去世には、わたしの親しい人や恩人であったかもしれない。どうして今の瞋恚のゆえに、さらに怨恨憎悪の心を生じさせることができようか。わたしは彼らを忍耐すべきであり、この忍耐によって善法上の利益を得るのである。また、この善法を修行する仁義の徳は広大であり、その慈悲の力は無量であることを知るべきであり、わたしはこの機会を失すべきではない。

原文:复思惟言。若无怨憎。何因生忍。生忍由怨。怨则我之亲善。复次瞋报最重。众恶中上。无有过是。以瞋加物。其毒难制。虽欲烧他。实是自害。

复自念言。外被法服。内习忍行。是谓沙门。岂可恶声。纵此变色憋心。复次五受阴者。众苦林薮。受恶之的。苦恼恶来。何由可免。如刺刺身。苦刺无量。众怨甚多。不可得除。当自守护。着忍革屣。

解釈:さらに思惟して言う。もし冤家や憎むべき人がいなければ、どのような因縁によって忍辱の力が生じようか。忍辱の力の生起は怨家の縁があってこそ現れるのであり、それゆえ怨み恼ます人はわたしの親善の人なのである。復次、瞋を生じる果報は最も重く、一切の衆悪のうちの上首であり、これを超えるものはない。瞋によって他に加えると、この毒心は制御し難い。この瞋恨は他人を烧恼できるように見えて、実は自分自身を害しているのである。

さらに自ら念う。出家者は身外に法服袈裟をまとい、内に忍辱行を修習することこそ真の沙門である。どうして悪言を発して自分の瞋心を放縦し、自分の顔色を大いに変えて心を塞がせることができようか。さらに言えば、五受陰とは一切の苦の聚集処であり、衆悪を受け容れる所在である。苦恼怨悪をどうして避けることができようか。それは多くの針が身を刺すようなものであり、苦毒の針は無量であり、多くの怨害は極めて多く、根本的に除き尽くすことはできない。それゆえ自らを守護し、常に忍辱の鞋履を履いているべきである。娑婆世界に来たのは苦を受け、債を返し、業を消すためである。五陰の身はこの苦を受けないでも、あの苦を受けなければならず、とにかく必ず苦を受けなければならない。避けられないのであれば、それを受け容れるしかない。今後事に遇ったらこのように自分を慰撫すれば、きっと役に立つ。心が平穏無事であれば、禅定は生じやすくなる。

原文:如佛言曰。

以瞋报瞋 瞋还着之 瞋恚不报 能破大军

能不瞋恚 是大人法 小人瞋恚 难动如山

瞋为重毒 多所残害 不得害彼 自害乃灭

瞋为大瞑 有目无睹 瞋为尘垢 染污净心

如是瞋恚 当急除灭 毒蛇在室 不除害人

如是种种 瞋毒无量 常习慈心 除灭瞋恚

是为慈三昧门。

解釈:仏が言われたように、瞋恚の方法で瞋恚の行に報復すれば、瞋恚はやはり自心に粘着する。瞋恨があっても報復しなければ、烦恼の大軍を破ることができる。忍辱して瞋を生じないのは、心量の大きい菩薩大人の行持である。心量の小さい人は瞋恚を好み、その瞋恚心は山のように動かし難い。瞋恨は巨毒であり、害する人は多くて広い。もはや他人を害しなければ、自分自身も害されることはなくなる。心に瞋恚があるのは大いなる暗黒であり、あたかも眼があって色を見られないのと同じである。瞋恚は塵埃の汚垢であり、自分の清浄心を染污する。このような瞋恚の心行は、速やかに滅除すべきである。たとえば毒蛇が部屋の中にいて、追い出さなければ人を害するようなものである。このように種々の瞋毒は無量にもある。常に慈心三昧を修習して、瞋恚の毒を滅除する。以上が慈心三昧法門である。

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