衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月08日    木曜日     第1 回の開示 合計1788回の開示

いかにして善知識と悪知識を見分けるか

出家した師父や老師に対して、悪知識という表現を用いてはなりません。真の悪とは、魔王波旬のような心根を持ち、衆生を故意に誤導し、正道から外れ解脱を得られないようにする者を指します。一般の者が法を説くのは智慧不足や修行の未熟さによるもので、故意に衆生を邪道へ導く悪意はなく、真に悪意あるのは魔王波旬だけです。波旬は衆生を救う者や解脱を得る可能性のある者を恐れ憎みます。智慧なき者が法を説くのは、自らの煩悩から、自己顕示欲で衆生の羨望や崇拝を求めるためです。また多くの者は衆生の苦しみを見て解脱を願いながらも、智慧が足りず実証的な指導ができません。

悪意なき発心があれば、悪知識の烙印を押すべきではありません。大多数の説法者は多様な面で衆生を利益させます。たとえ明心悟りを開いていなくても、基礎的な仏法は彼らを通じて伝えられます。娑婆世界には基礎から衆生を指導する真に悟った菩薩が多くおらず、大智慧の菩薩は高度な衆生を度脱するため、初歩的な指導に時間を割きません。菩薩の数も少なく、貴重な存在を無駄遣いすべきではないのです。

仏法を学ぶ者は仏に習い、不遜な言葉を慎み全ての法師を敬うべきです。仏以外の説法に誤りは避けられず、菩薩でさえ誤ることがあります。菩薩の智慧は漸進的に深まり、過去の未熟さ故に説法に誤りが生じます。もし智慧を深めた菩薩を善知識と呼ぶなら、過去の未熟な状態を悪知識と断じるなら、等覚菩薩までも悪知識と呼ぶ矛盾が生じます。

真の悪は波旬のみです。波旬は仏前に誓い、末法の世に仏教に混入し仏法を破壊し衆生の解脱を阻むと宣言しました。今や波旬は善知識に偽装し、その正体を見破る者は誰もいません。では善知識と悪知識を見分ける基準は何か。

衆生は無始劫来、煩悩の淵に沈み、仏菩薩の威徳にすがっています。もし善知識を名乗る者が衆生の煩悩を増長させ、世俗への執着を煽り、瞋心を育て争いを助長するなら、その結果は衆生を更に生死に縛り付け、三界の煩悩から脱せず欲界の煩悩さえ軽減できません。欲界脱出の可能性ある者を波旬は最も恐れ、魔宮を出てその者を貪欲と瞋恚に引き戻し、罪業を造らせます。善知識か悪知識かを見分ける基準は、故意に衆生に貪瞋痴を植え付け、悪縁を結ばせて欲界や三悪道から出られなくするか否かです。これが波旬の勢力拡大を許す要因となります。

悪知識は三宝の根本を破壊し、仏教を混乱させ、衆生が真の三宝に依止するのを阻みます。波旬は巧みに衆生心中の三宝像を毀損し、仏と僧の尊厳を貶めます。さらに衆生が真の仏法を実修するのを阻止し、六波羅蜜や戒定慧の修行を妨げ、我見を断ち明心する機会を奪います。故意に大妄語の業を造らせ、自らを真菩薩と錯覚させ他者を魔子魔孫と見做させます。こうして衆生全てが悪業に囚われ解脱できない状態が波旬の目的です。詳細は『楞厳経』五十陰魔の章に対照されます。

——生如法師の開示
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