衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年08月05日    月曜日     第4 回の開示 合計1773回の開示

第八識の能縁は未熟な業種子を持たないのでしょうか?

未だ熟さない業種を、第八識は縁とすることができるか。もちろん縁じ得、了別し得る。俱解脱の阿羅漢の神通は衆生の八万大劫前後のことを知ることができる。これほど長い時を経て初めて起こる事柄を、阿羅漢はなぜ知り得るのか。阿羅漢の意根が自らの如来蔵に依って未来世に熟する業種を了別し、意識が意根に依って未来世の業種現行の状況を了別し得るからである。神通を有する地上の菩薩の了知し得る事柄は、阿羅漢をはるかに超え、この時間的範囲よりもさらに大きく、仏の神通力は菩薩たちよりも殊勝無比で、一つの無量劫、二つの無量劫後の事柄を知り得る。例えば仏が八地菩薩に一つの無量劫後のある時に成仏することを授記し、時に初地菩薩にも授記することがある。

仏菩薩阿羅漢は如何にしてこれほど遠い過去あるいは未来の事柄を了別するのか。これらは全て禅定と智慧が相俟った結果である。仏菩薩と阿羅漢はどの識心が久遠劫以前と久遠劫以後の事柄を知るのか。意識が知るのである。意識が意根から知り、意根は如来蔵から知る。如来蔵が自体中の業種を了別して知る。ただし如来蔵の知る内容と六・七識の知る内容には相違がある。

仏がもし衆生を観察すれば、衆生の三つの無量劫以前の経歴、さらには無数の無量劫以前の経歴を観ることができる。これは如何なることか。久遠劫前に起こった事柄が、目前の如く、あたかも眼前で起こっている事柄を見るように、これが現量で観察された現量境である。久遠劫後に起こる事柄を含め、目前の如し。久遠劫前に起こった事柄、その業は既に滅び失せているかもしれない。久遠劫後に起こるべき事柄の業種は未だ遠く熟していない。仏は如何にしてこれを知るのか。どの識心が知るのか。ある業種は未だ形成されず、業行も未だ造作されていない。仏は如何にしてこれを知るのか。菩薩は如何にして知るのか。阿羅漢は如何にして知るのか。

神通を有する外道も、一二年後、数年後に起こる事柄を知り得る。業種は同様に未熟である。彼はどの識で未来の事柄を了知するのか。算命者も臨命終前に起こる事柄を知り得る。神通なき者も、如来蔵は未熟の業種を縁じ、意根が如来蔵に依って未来世に起こるべき事柄を証得する。ただ一時的に意根から知ることができないだけである。

八地菩薩にして初めて六根互通が可能となる。俱解脱の大阿羅漢は六根互通ができる。普通の神通は六根互通とは程遠くとも、未来世の事柄を知り得る。この知は意識が知る。では意識は未来世の未熟な業種を知り得るか。意識は明らかに業種を知ることができない。現在のものであれ、過去未来のものであれ。しかし意根が如来蔵の見大作用に依って必ず知り、意識が意根に依って未来世の事柄を知り得る。楞厳経で仏が説かれるように、意根は黙して一切の法を容る。容とは包容し受け入れること。一切の法とは如来蔵の見る全ての法であり、意根はそれに随って全てを見るのである。

——生如法師の開示
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