衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月03日    土曜日     第6 回の開示 合計1760回の開示

意根の邪見を転換するには長期的な薫陶が必要である

五蘊が自我であるという邪見は愚痴の心所法に属し、意根は先天的に愚痴無明を持ち、五蘊身を自我と認めると、意識も愚痴邪見を持つ。修行により二つの識の愚痴無明を破り、自我見を断じて証果を得た後、愚痴の心所法は一分変化します。

では、意根に身体は虚偽であり、覚受も真実ではない自我ではないと告げ、意根にこれら全てが自己ではない真実ではないと信じさせる方法を考えれば、自我見を断じられるでしょうか?意根の無明は重く、意識が何を告げても信じず、充分な証拠資料が必要で、これらのデータ資料に基づき、自身の審定と思量を行い、自ら判断を下す必要があります。愚痴が深刻な時、証拠確凿、事実充分でも、速く確認せず、五蘊無我という事実を承認しません。長期熏陶が必要で、一点ずつ変化し、三尺の冰は一日の寒でなく、久积の坚冰は幾日の陽光で融化できません。

有人が問う:自我見を断じ後、自身の覚知を慢慢に断じ、冷熱、痛痒等を感じなくなるでしょうか?そうではなく、自我見は不正の邪見を断じるのみ、覚知を滅じません。覚知滅じには極深の四禅定が必要で、自我見を断じなくても可能です。四禅定で色蘊区宇と受蘊区宇を破り、色身の覚受を空じます。否则、阿罗汉も色身の各種感受を持ちますが、執著せず、感じは痛苦ほどではなく、最起码意識心の受は苦恼ほどではなく、身識の受は凡夫と差不多的です。

——生如法師の開示
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