答:衆生はいかなる世界でどのような形式で存在していても、その身分と果証は意根を主とし、意根が何であれば衆生も何であるのです。意根は衆生の主人であり、作主識であるとともに、業種と相応し、また後世へ連続することができるからです。したがって、意根がどのような業を造作すれば、どのような果報を受けなければなりません。意根が凡夫を造作すれば、後世も凡夫となり、意根が我見を断てば、後世は初果から四果の人となり、意根が明心見性すれば、後世は開悟の菩薩となります。七つの果位は意根の明と無明の程度によって定まるのです。
もし人間の身において意根が第八識を証得していなければ、それは凡夫であり、後世の極楽世界への往生は凡夫の身分で行くことになり、極楽世界に到着しても依然として凡夫です。蓮花の中に若干劫の間住し、業障が一定の程度まで消除されて、花が開いて仏を見、法を聞いて道を悟って、はじめて真の菩薩となります。人間の身であった時の意識の解は、根本的な作用を果たさず、もし若干意根に熏染されていれば、相応の微弱な種子が存じ込まれ、後世の意根はやや容易に熏を受け、証悟することができるのです。
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