衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月26日    水曜日     第1 回の開示 合計1638回の開示

父子合集経選講(一二六)

第二章 無辺称王の物語

原文:大王よ。往昔、無量倶胝那由他劫の昔、転輪聖王ありて、名を無辺称と曰う。富貴自在にして大威徳あり。象馬車乗、衆宝の輦輿、最勝の輪宝、能く壊す者無し。既に無量の諸仏に親近し、彼の仏所に於いて多くの善根を種え、意の随う所の念は皆成就を得たり。

釈:仏は説かれた。大王よ、過去の無量無辺劫より前、無辺称と名付けられた転輪聖王がおり、彼は非常に富貴で自在であり、大きな威徳力を備えていた。象馬の車乗や衆宝で飾られた輦輿を有し、七宝が具足し、最勝で誰も壊せない輪宝を持っていた。この無辺称王は過去に無量の諸仏に親近供養し、多くの仏のもとで極めて多くの善根を植え付けた。その善根の福徳により、心に思うことは全て成就し、あらゆる願いは実現した。

世尊がこの物語を語られたのは、浄飯王に富貴の享楽に執着せず、貪り知らぬ心の危険性を教え諭すためであった。世間に貪着して満足を知らぬ者の果報、貪心を断たぬ者が五欲六塵に節度を持てぬ様を、無量の仏のもとで善根を植えた無辺称王ですらそうであった事実をもって示された。

インド語の倶胝那由他劫とは極めて長遠な時間を指す。地球の成住壊空が一大劫に当たり、80×1680万年に相当する。無量の大劫を経た昔、無辺称という転輪王がいた。転輪王は四種に分かれる:金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王。最下位の鉄輪王は一洲を統治し、南贍部洲あるいは東勝神洲などを司る。銅輪王は二洲、銀輪王は三洲、金輪王は四洲を治める。須弥山の四方には四つの大洲があり、この娑婆世界には十億の須弥山が存在する。つまり一つの三千大千世界に十億の金輪王が存在し、銅輪王や鉄輪王はさらに多数存在する。これら転輪聖王の福報は、無量千万億仏を供養した結果得られた世俗の世間的福報である。

転輪王は極めて裕福で自在、権勢と大威徳を備え、象宝・馬宝・車乗宝・珠宝・輦輿などの七宝を有する。金輪王は七宝の輦輿に乗り、南贍部洲から他の洲へ瞬時に移動し、忉利天の帝釈天のもとへも至ることができる。これは欲界の物質的範囲内で、彼の福報が感得したものである。

転輪王は無量の諸仏に親近してこの福徳を修めた。我々が些細なことすら成し得ず、福を修めない者にとって、金銀財宝は自在にならず、思い悩んでも現れない。福徳がなければ、博士号を持つ者でも生涯成功せず、才能はあれど福報なき故に所願を得られない。福を修めた者は無学でも大富貴を得る。往昔の詩人が才能不遇を嘆いたのは、才能のみでは足りず福報が必要だからである。今生の一切は前世の修行による。大福徳を得んとすれば、不断に福を修めねばならない。全ての福徳は天から降らず、他者を利する修福、特に大乗仏法における三宝供養から生じる。

金輪王は無量の仏を供養し、多くの善根を植えて初めてその地位を得た。もし我々が修行を怠り、ただ一句の念仏で極楽往生し成仏を待つなら、果たして成仏できるか。釈迦仏を供養することさえ不十分で、極楽で阿弥陀仏一尊に出会うだけで成仏できるのか。金輪王ですら無量仏を供養したのに、まして仏道成就という殊勝な果報においてなおさらである。経典に説く如く、衆生が成仏するには無量無辺の諸仏を供養し、各仏のもとで聞法し、世々に諸仏を供養して福徳を具足し、福慧両足尊となる必要がある。故に念仏のみで極楽往生し即座に成仏するということはあり得ない。衆生を度す経験もなく、仏法を学ばず、福報を修めずして成仏は不可能である。

もし仮に念仏だけで成仏できるなら、弟子が法を求めても小乗も説けず、まして大乗を説くことができぬまま、どうして衆生を救えるか。また弟子たちはどこから現れるのか。衆生と縁を結ばず弟子を度したことがなければ、どうして弟子が得られようか。弟子なくしては仏国土を建立できず、成仏もできない。国王に大臣や民がいなければ王たり得ぬ如く、極楽に往生するだけでは福報も智慧も不具足で、成仏は叶わない。

——生如法師の開示
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