衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年05月08日    水曜日     第3 回の開示 合計1508回の開示

衆生の心所法

思うとはどの心所法か。考えるとはどの心所法か。研究するとはどの心所法か。推敲するとはどの心所法か。参究するとはどの心所法か。

思心所にはどのような作用があるか。想心所にはどのような機能作用があるか。

理解するとはどの心所法か。願うとはどの心所法か。望むとはどの心所法か。悟るとはどの心所法か。企てるとはどの心所法か。待ち焦がれるとはどの心所法か。祈念するとはどの心所法か。願力とはどの心所法か。知る・証得する・了知するとはどの心所法か。同意・賛同・附和とはどの心所法か。

念茲在茲とはどの心所法か。心中の影像が払拭されないとはどの心所法か。念念不忘とはどの心所法か。銘記するとはどの心所法か。堅固不動とはどの心所法か。心を一処に制するとはどの心所法か。瞬きせず凝視するとはどの心所法か。良知とはどの心所法か。

心の状態・心の特徴・性格・気質・習性は全て心所法に属し、善性・悪性・無記性がある。厳密に言えば、心所法は五十一個のみならず、細かく分類すれば数百数千に及ぶ。世親菩薩が大まかに五十一個にまとめたのは不完全である。仏がこれをまとめれば極めて微細となる。故に仏法を学ぶには、仏の説を完全に依り所とすべきで、他者の説は酌情して用い、柔軟な対応力を要する。仏説に依る場合も一定の融通が必要であり、仏語と仏意には隔たりがあり、衆生の智慧が限られるため、仏は真意を完全に説き明かさず、暗示的・巧みに説かれる。仏経を講ずる者の多くは仏の本意を伝えず、曲解が甚だ多いが、仏は忍辱の心なくしてこれを忍ばれる。

心所法において五遍行心所以外は常に現行せず、時折り生起する。五別境心所は特定時に現れ、善悪無記の心所法も時折生起する。仏地に至れば、心所法は常に現行する。例えば定心所は仏心が常に三昧にあり、慧心所は常に大智慧を具え、勝解心所は一切法を常に勝解し、善心所中の無貪・無瞋・無痴は永遠に仏心に具わる。

人それぞれ性格・気質が異なり、衆生の心の複雑さが世界の複雑さを生む。衆生の心が仏心の如くならば、世界は簡素殊勝となり、言語では表せぬ静寂の境地となる。

究極的に世界はその様相を呈し、衆生は修行の果てに智慧純一の心を得て、性格・気質が消融し、心所法は二十一個の善法のみとなる。しかしこの境地に至るには三阿僧祇劫を要し、修心の難しさを示す。心が変わらねば苦悩を生じ、自他を煎熬する。衆生が同根と知らず、互いに苦しめ合うのである。

——生如法師の開示
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