原文:六触処とは何か。眼触処とは、色を見ることをいう。耳触処とは、声を聞くことを得る。鼻触処とは、香りを嗅ぐことができる。舌触処とは、味を悉く嘗める。身触処とは、触覚を直接感じる。意触処とは、法を了知することをいう。
釈:世尊は説かれた。六触処とは何か。眼触処によって色を見るとは、眼根と色塵が触れ合うところで眼識が生じ、色を見ることができる。耳根という処で声塵に触れれば、耳識が生じて声を聞く。鼻根という処で香塵に触れれば、鼻識が生じて香りや臭い、その他の雑味を嗅ぐ。舌根で味塵に触れれば、舌識が生じて酸・甘・苦・辛・鹹などの様々な味塵を嘗める。身根で触塵に触れれば、身識が生じて触塵を感じる。例えば日光に触れれば温かさを感じ、風が身体に吹き付けば身識が涼しさを覚える。軽安・快適・飢渇・疲労・酸怠・倦怠などの身体感覚もまた触塵である。意根において意根と法塵が触れ合い、意識が生じれば、一切の法塵境界を了別することができる。
原文:十八意所伺察とは何か。眼が色を見た後、適悦が生じ、憂悩が生じ、あるいは捨(無記)に住する。このように六根それぞれが縁となる対象に対し、適悦等の三種を生ずる。これを十八意所伺察という。
釈:伺察とは観察・了別・了知・覚受を指す。眼根が色塵に触れた後、眼識と意識が色塵を了別し、喜悅あるいは憂悩の心境が生じ、あるいは喜憂のない中間の覚受状態に住すれば、三種の感受が現れる。これは根・塵・識の三者が三界に対応するものである。耳・鼻・舌・身・意の他の五根もまた眼根と同様に、根が塵に触れ、識が生じ、識心に覚受が現れ、喜悅・憂悩・あるいは無喜無瞋(捨)の三類の心態を生ずる。それぞれ五対十五界となり、合わせて六対十八界となる。各根が塵に触れた後には必ず根・塵・識の三界があり、六根が六塵に触れ合えば十八界となり、それぞれ苦・楽・捨の三種の受を生ずる。これを十八意所伺察という。
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