旧正月になると、農村では豚や羊を屠る習慣があります。最後の餌を与える時、豚は相変わらず嬉しそうに食べ、これが生涯最後の食事だと気付きません。一生を無為に過ごし、肥え太った肉体を得た代わりに命を失う。愚かであればあるほど、悟りを開けない畜生道の生き物です。人間も同じです。人類の災難は目の前に明らかに存在し、何の覆いもありません。山に頼れば山は崩れ、水に頼れば水は流れ、人に頼れば人は逃げる。何も当てになりません。災難が頻発している時にも、まだ遊山玩水する余裕があり、山を見水を見雪を見て、楽しめる時に楽しみ遊ぶ様は、まさに最後の晩餐を享受する豚のようです。人と豚の違いはどこにあるのでしょうか。
一生が長いと思うのは錯覚です。天人の目から見れば、ほんの数分あるいは数日に過ぎません。自分が若いと思うのは危険です。黄泉の路に老少はなく、白髪の人が黒髪人を見送ることは日常茶飯事です。自分は大丈夫だと思ってはいけません。大災害に遭う人の中には自信過剰な者が多く、床に臥す身となって初めて悔恨の涙を流しますが、もはや手遅れなのです。
仏法に出会いながらまだ悟らず、修行に努めて生死の悲しみと苦しみの運命を変えようとしない者に、いったい何の救いがあるでしょうか。私が誰を指しているか、当人は自覚すべきです。もしまだ気付かないなら、それは豚同然の愚かさです。知りながら改めない者に、もはや言葉など無用というものです。
23
+1