第七識は現実のみを信じ、事実を信じる。証拠が不十分あるいは信頼性の低い五塵境や事理に対しては、第七識は決して信じようとしない。意識による非量の了別であっても、証拠が確固たる状況下で導き出された結論が完全に事実と合致する場合、第七識もそれを信じることができる。第七識が信じた後にのみ決定を下すことができ、そうでなければ第七識は一時的に決定を下さない。したがって、第七識は現量に基づいて決定を下す必要がある。それゆえ、証拠が確固として疑いの余地がない状況下においてのみ、意根は信じることを受け入れる。なぜなら、それ自身の智慧が不足しているため、完成された塵境の事理が目の前に提示されて初めて信じるからである。それ自体は詳細な比較や想像を行うことができず、具体的に分析する智慧が不足しているためである。
したがって、何事に遭遇しても第七識に認めさせたり肯定させたりしたいならば、十分な証拠が必要であり、これには意識が緻密な思惟分析を行い、説得力のある根拠を提示することが求められる。こうした点で、思惟観行と整理が特に重要となる。もし意根の智慧も十分に備わっているならば、私たちが仏法を学ぶのにこれほど大変な手間をかける必要はないのである。
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