日用にして知らず、本心は刻一刻と刹那ごとに生起し利用されていますが、衆生は無明のためこれを了知できず、いかにして起用されるかも知りません。本心は常時作用しており、自ら如何に運営し如何に万法を出生するかを知っております。自らの運行法則に従って相応の利用を起しますので、我々がこれを操作する必要はありません。実際のところ我々には操作できず、その運行規則に全く介入できません。しかし凡夫の段階では、我々の本心は現在、染汚な業行を造作し、低俗な事業を造り、悪業を造ることが多いのですが、本心自身は決してこれらのことを怨みません。
これに対し仏の本心は極めて良く用いられ、極致に達し、円満に至り、一片の欠けるところなく、限りなく良く限りなく大きく利用されています。我々自身の七識心が清浄であればあるほど本心の用い方は良くなり、七識心が染汚であればあるほど本心の用い方は悪くなります。この本心が常時用いられているのであれば、我々はこれを発見し、いかに用いられているかを了知し、如何により良くより完全に、より究竟に用い、諸仏世尊のような用い方に達するか、これこそが我々が無量劫にわたって追求する目標であります。
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