(十)原文:仏は阿難に告げたまわく、七識住と二入処あり。諸々の沙門・婆羅門が言うところによれば、此の処は安穏にして救護たるもの、舎宅と燈明、光明と帰依、虚妄ならず煩悩なき所なり。云何が七なるや。或る衆生は若干種の身、若干種の想あり、天及び人、是れ初の識住処なり。諸沙門婆羅門は言う、此の処は安穏にして救護たるもの、舎宅と燈明、光明と帰依、虚妄ならず煩悩なき所なりと。阿難よ、若し比丘が初識住を知り、集を知り滅を知り、味を知り過を知り、出要を知り、如実に知るならば、阿難よ、彼の比丘は言うべし『彼は我に非ず、我は彼に非ず』と。如実に知見するなり。
釈:仏は阿難に説きたまう、七識住と二入処あることを汝ら知るべし。諸沙門婆羅門は此等の七識住と二入処を安穏なるもの、救護される処、舎宅と燈明、光明と帰依、真実不虚の処、煩悩なき処と説く。何を以て七識住となすや。第一の七識住は人及び天人の中にあり、色身を有する衆生は種々の身形、種々の想念をなす。沙門婆羅門は人天の住処を安穏なるもの、救護される処、止住すべき舎宅、照らす燈明、光明、依止処、真実不虚の存在、煩悩なき処と説く。
阿難よ、比丘らが初の七識住を知り、其の集起と滅尽を了知し、七識住の貪愛と過患を知り、出離の要道を了知し、初七識住を如実に知るならば、比丘らは「七識住は我に非ず、我は七識住に非ず」と説き、此の理を如実に知見するなり。
原文:或る衆生は若干種の身にして一想あり、梵光音天これなり。或る衆生は一身にして若干種の想あり、光音天これなり。或る衆生は一身一想、遍淨天これなり。或る衆生は空処に住し、或る衆生は識処に住し、或る衆生は不用処に住す。是れを七識住と為す。或る沙門婆羅門は言う、此の処は安穏にして救護たるもの、舎宅と燈明、光明と帰依、虚妄ならず煩悩なき所なりと。阿難よ、若し比丘が七識住を知り、集を知り滅を知り、味を知り過を知り、出要を知り、如実に知見するならば、彼の比丘は言うべし『彼は我に非ず、我は彼に非ず』と。如実に知見する、是れを七識住と為す。
釈:第二の七識住は色界初禅天の梵光音天にあり、種々の色身ながら一想を有す。第三は二禅天の光音天にて、一身ながら種々の想をなす。第四は三禅天の遍淨天にて一身一想なり。第五は無色界の空無辺処天、第六は識無辺処天、第七は無所有処天に住する者なり。是等を以て七識住と為す。
沙門婆羅門は此等の住処を安穏なるもの、救護ある処、舎宅、燈明、光明、帰依処、不虚妄、無煩悩の処と説く。阿難よ、比丘らが七識住を了知し、其の集滅・貪愛・過患・出離の要道を如実に知見するならば、「七識住は我に非ず、我は七識住に非ず」と説き、此の理を如実に知見する、是れ即ち七識住の真義なり。
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