衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月22日    日曜日     第1 回の開示 合計2817回の開示

雑阿含経(三五四)

かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく「もし諸の沙門・婆羅門が六入処において如実知せずして、触を超度せんと欲するならば、是の処あることなし。触集・触滅・触滅道跡を超度する者も、是の処あることなし。かくのごとく受・愛・取・有・生・老死を超度する者も、是の処あることなし。老死集・老死滅・老死滅道跡を超度する者も、是の処あることなし。

もし沙門・婆羅門が六入処を如実知し、六入処集・六入処滅・六入処滅道跡を如実知して、触を超度するならば、斯に是の処あるなり。かくのごとく受・愛・取・有・生・老死を超度する者も、斯に是の処あるなり。乃至老死滅道跡を超度する者も、斯に是の処あるなり」と。仏はこの経を説き終わると、諸比丘は仏の説きたまうところを聞き、歓喜して奉行せり。

釈:世尊は諸比丘に告げたまわく、もし沙門・婆羅門が六入処を如実知せずして触を超越せんと欲するは不可能なり。触の集起と触の滅、触滅の道跡を超越するは不可能なり。同様に、受・愛・取・有・生・老死の集起と滅、及び滅の道跡を超越せんとするも不可能なり。もし沙門・婆羅門が六入処を如実知し、六入処の集起と滅、及び滅の道跡を如実知して初めて触を超越する可能性あり。触の集起と滅、触滅の道跡を超越する可能性あり。同様に、触・触集・触滅・触滅道跡を如実知した後に初めて、受・愛・取・有・生・老死を超越する可能性あり。乃至受・愛・取・有・生・老死の集起と滅、及び滅の道跡を超越する可能性あるなり。

十二因縁法の修習において、もし前の因縁を如実知・如実証せずして、後の因縁及び以降の全ての因縁を超越すること能わず。前の因縁は後の因縁の因と縁なり。前を通ぜざれば自然に後を通ずること能わず。故に修行は次第に一法一法を観行し、忍耐を以て急がずして等を躐えざるべし。然らずんば何れの法も証得すること能わず、如実知すること能わざるなり。

——生如法師の開示
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