原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく、「老死を覚知すべし。老死の集まり、老死の滅び、老死滅の道跡を覚知すべし。かくのごとく、ついに至るまで行を覚知すべし。行の集まり、行の滅び、行滅の道跡を覚知すべし」と。
釈:世尊は諸比丘に告げたまわく、汝らは老死を覚知し、老死の集起と老死の滅び、および老死滅の道跡を覚知すべきである。このように、生・生の集起・生の滅び・生滅の道跡を覚知し、有・有の集起・有の滅び・有滅の道跡を覚知し、取・取の集起・取の滅び・取滅の道跡を覚知し、愛・愛の集起・愛の滅び・愛滅の道跡を覚知し、受・受の集起・受の滅び・受滅の道跡を覚知し、触・触の集起・触の滅び・触滅の道跡を覚知し、六入処・六入処の集起・六入処の滅び・六入処滅の道跡を覚知し、名色・名色の集起・名色の滅び・名色滅の道跡を覚知し、六識・六識の集起・六識の滅び・六識滅の道跡を覚知し、行・行の集起・行の滅び・行滅の道跡を覚知すべきである。
原文:いかにして老死を覚知すべきか。縁起によって生ずるが故に老死あり。このような老死を覚知すべし。いかにして老死の集まりを覚知すべきか。生の集まりは即ち老死の集まりなり。このように老死の集まりを覚知すべし。いかにして老死の滅びを覚知すべきか。生の滅びは即ち老死の滅びなり。このように老死の滅びを覚知すべし。いかにして老死滅の道跡を覚知すべきか。八聖道は即ち老死滅の道跡なり。このように老死滅の道跡を覚知すべし。ついに至るまで、いかにして行を覚知すべきか。三つの行、すなわち身行・口行・意行なり。このように行を覚知すべし。いかにして行の集まりを覚知すべきか。無明の集まりは即ち行の集まりなり。このように行の集まりを覚知すべし。いかにして行の滅びを覚知すべきか。無明の滅びは即ち行の滅びなり。このように行の滅びを覚知すべし。いかにして行滅の道跡を覚知すべきか。八聖道は即ち行滅の道跡なり。このように行滅の道跡を覚知すべし。仏はこの経を説き終えたまう。諸比丘は仏の説きたまうところを聞き、歓喜して奉行せり。
釈:老死を覚知すべき方法は、生を縁として老死が存在することを覚知することである。老死の集起を覚知するには、生の集起が老死の集起であることを知る。老死の滅びを覚知するには、生の滅びが老死の滅びであることを知る。老死滅の道跡を覚知するには、八聖道がその道跡であることを知る。同様に、行を覚知するには身・口・意の三行(実際には意根の行、六識以前に生起するもの)を理解する。行の集起は無明に起因し、行の滅びは無明の滅びによる。行滅の道跡は八聖道に求められる。このように縁起の理法に従って覚知を完成すべきである。
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