衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月06日    金曜日     第1 回の開示 合計2766回の開示

雑阿含経(二九四の二)

(二)原文:もし黠慧なる者に無明覆われ、愛縁によってこの識身を得る。かくの如く内に識身あり、外に名色あり。この二つの縁より六触入処を生ず。六触によって触れられる故に、智者は苦楽受覚を生ず。因縁によって種々のものが起こる。何等を六と為すや。眼触入処、耳鼻舌身意触入処なり。愚夫と黠慧なる者、彼らが我の所において梵行を修めるに、何の差別あるや。比丘ら仏に白して言く「世尊はこれ法の根、法の眼、法の依りてまします。善き哉、世尊。惟願わくは演説したまえ。諸比丘聞きて已ち、まさに奉行すべし」。

釈:聡明なる者が無明に覆われ、貪愛の因縁によってこの六識身を繋縛されれば、内に六識身あり、外に五陰の名色あり。両者が和合して触れた後、六入触処を生じる。六処に触れある故に、智者は苦楽受を生起す。六入処触の因縁によって種々の受覚が生起す。六触入処とは眼触入処・耳触入処・鼻触入処・舌触入処・身触入処・意触入処なり。愚かな凡夫と聡明なる者は共に六入触処に苦楽等の受あり、共に我が所で梵行を修すが、その差別如何。比丘ら仏に申す「世尊は法の根源、法の眼目、法の依り所なり。願わくはこの意を開演したまえ。比丘ら聞きて後、信受奉行すべし」。

原文:その時、世尊諸比丘に告げたまう「諦聴して善く思え、まさに汝らの為に説かん。諸比丘よ、彼の愚痴無聞の凡夫は無明に覆われ、愛縁に繋がれてこの識身を得る。彼の無明断ぜず、愛縁尽きずして、身壊れ命終われば、また身を受く。身を受く故に生老病死憂悲悩苦より解脱を得ず。所以は如何。この愚痴凡夫は本より梵行を修めず、正しく苦を尽くして苦の辺際に究竟せんとするが故なり。是の故に身壊れ命終われば、また身を受け、身を受く故に生老病死憂悲悩苦より解脱を得ず」。

釈:世尊は比丘らに告げたまう「汝ら仔細に聴き、深く思惟せよ。愚痴無聞の凡夫は無明に覆わるが故に、貪愛の因縁によって自らを繋縛し、この六識身を生ず。彼らは無明煩悩を断ぜず、愛縁尽きざる故に、身壊れ命終わる時、再び生を受けて六識身を持つ。愚痴無聞の凡夫は再び六識身を受くれば、生老病死憂悲苦悩より解脱できぬ。何故ならば、愚痴無聞の凡夫は本来清浄なる梵行を修めず、苦を正しく尽くして究竟の苦の彼岸に至らぬが故なり。よって身壊れ命終われば再び身を受け、再び身を受くれば生老病死憂悲苦悩より解脱を得られぬ」。

——生如法師の開示
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