(二) 原文:仏は阿難に告げたまわく、善哉、諦聴せよ、汝のために説かん。此の諸比丘は内触法を取る。応に是の如く思惟すべし。若し衆生の所有する種種の衆苦生ずれば、此の苦は何を因とし何を集とし、何を生とし何を触とするや。是の如き取をなす時、当に知るべし、此の苦は億波提を因とし、億波提を集とし、億波提を生とし、億波提を転とす。
釈:仏は阿難に、素晴らしいことだ、よく聞きなさい、今から説き示そうと告げられた。比丘たちよ、内触法に執着する時はこのように考えるがよい。あらゆる衆生の種々の苦悩が生じた時、これらの苦しみの原因は何か。どのような法の集起によるものか。どの法の発生によってこの苦が生じ、どの法の接触によって引き起こされるのか。内触法をこのように把握する時、苦しみが執着を因とし、執着の集起によって苦が集起し、執着の発生によって苦が生じ、執着の流転によって苦が顕現することを知るべきである。
原文:復た比丘よ、内触法において、また億波提は何を因とし、何を集とし何を生とし何を触とするや。彼が取る時、復た知るべし、億波提は愛を因とし愛を集とし、愛を生とし愛を触とす。復た比丘よ、内触法を取るに当たり、復た知るべし、愛は何を因とし何を集とし、何を生とし何を触とするや。是の如く取る時、当に知るべし、世間の念う所の、諦正の色なり。彼において愛は生じて生じ、繋がれて繋がり、住して住す。
釈:さらに比丘たちよ、内触法を把握する時、何が執着を生じさせる因か。どの法が集起すれば執着が集起するか。どの法が生じれば執着が生じ、どの法が触れれば執着が触発されるか。これを知るべきである。執着は愛執を因とし、愛執の集起によって集起し、愛執の発生によって生じ、愛執の接触によって触発される。
さらに比丘たちよ、内触法を把握する時、愛執が何によって生じるかを知るべきである。どの法が集起すれば愛執が集起し、どの法が生じれば愛執が生じ、どの法が触れれば愛執が触発されるか。このように把握する時、世間の人々が心に念じる清浄な色蘊において、愛執が生じるやいなや執着が生じ、色蘊が愛執に繋がれるや執着に繋がれ、愛執が色蘊に住するや執着もまたそこに住することを知るべきである。
これは世尊が説かれた十二因縁法の一部である。前段では触の集起が受の集起の因であることを説き、ここでは愛の集起が取の集起の因であることを示される。愛執があれば執着が生じ、執着があれば生老病死・憂悲悩苦が顕現する。愛執を因として六境に執着し、執着によって「有」が生じ、「有」によって生が起こり、生によって苦が現出するのである。
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