衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年12月15日    日曜日     第1 回の開示 合計2084回の開示

作意心所法はいかにして生起するのか

識心が法に対する作意を行うことは非常に複雑な過程であり、明確に観察することは容易ではありません。最初の法に対する作意は種子位にあり、つまり識の種子がまだ輸送されず、識心がまだ生起していない状態を指します。識の種子が生起しようとする時には、生起する場所と作意の方向が必要であり、この方向と場所が作意の対象となり、法の所在処となります。

例えばバスケットボールをプレイする際、ボールをゴールに向かって投げる時、目はゴールの方向を狙って投球しなければなりません。この方向が作意の処所、すなわちゴールに相当します。ここでボールは識の種子に、人の目は識心に、照準を合わせる行為は作意に相当します。手がボールを持つ時、目標はゴール方向に向けられ、投球時にはゴール方向へ正確に準備を整える必要があります。同様に、識の種子が如来蔵において生起する前にも、生起する方向が必要であり、全ての識の種子は生起前に作意を有しています。識心が特定の処所で生起し、特定の法上に現れる時、その法の処に作意を向ける必要があるのです。

識の種子が生起した後、識心は継続的に作意を続けます。識心が特定の法上で持続的に作用する際、その法に対し継続的に作意し続けなければなりません。もし作意を止めれば、識の種子の輸送は方向を転換し、他の心所法である触・受・想・思は現れなくなります。従って識心は特定の法に対する了別を継続的に作意し続けることで持続可能となり、一旦作意を止めればその後の触・受・想・思は生じません。作意心所法は重要であり、これがなければ他の心所法も現れず、その法に対する識心の作用は失われるのです。

——生如法師の開示
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