識心対法の作意は非常に複雑な過程であり、観察清楚することは非常に困難です。最初対法の作意は種子位、即ち識種子がまだ輸送されず、識心がまだ出生していない時です。識種子が出生する時には、出生の处所と作意の方位が必要であり、この方向と处所は作意の対象であり、法の所在处です。
例えばバスケットボールを打つ時には、ボールを籃筐に投げなければなりません。目は籃筐の方向を瞄准して投球し、他の方向に向けて投げることはできません。この方向は作意の处所に相当し、即ち籃筐です。ボールは識種子に相当し、人の目は識心に相当し、瞄准は作意に相当します。手がボールを持つ時、目標は籃筐の方向に向けるべきであり、投球時には手は籃筐の方向を对准し、この方向で準備をして投げなければなりません。識種子が如来蔵の中で出生する前にも同じであり、出生の方位が必要です。すべての識種子は出生前に作意があります。識心が某处所で出生し、某法上で出生する時には、某法の处所に作意しなければなりません。
識種子が出生した後、識心は相続不断的に作意を続けます。識心が某法上で持續运转する時、この法に対して一直作意下去しなければなりません。作意しなくなると、識種子の輸送は方位を转移し、他の心所法の触、受、想、思は再出現しません。因此、識心は某法の了別に対して持續作意しなければ相続下去できません。一旦作意しなくなると、後の触、受、想、思はありません。作意心所法は非常に重要です。作意心所法がない場合、他の心所法も出現しません、その法に対して識心の作用もありません。
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