衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年12月16日    月曜日     第1 回の開示 合計2085回の開示

意根における五遍行心所法の運行

意根がどの法に作意するかは何によって決定されるかという問題は『瑜伽師地論』において論じられており、それは意根の念と欲、習気、習慣、考え、興味、嗜好、打算、願望、要求などによって、意根本身の識種子の作意を引き起こすとされています。六識の作意はすべて意根によって引き起こされ決定されます。意根がどの法に作用して造作をなそうとするかによって、六識の種子は如来蔵において出生する方向性を持ち、意図的にその法処に生じようとします。これが作意であり、その後識種子は必ずその法において出生します。

意根が作意した後、どの識も必ず相応する法と触れなければなりません。なぜなら識種子がどの法に出生するかによって、その法に触れることになるからです。触れた後は必ず領納して受け入れます。例えば手がボールに触れた後、このボールを受け入れ、ボールを領納して初めて感覚、つまり受が生じ、その後知が生じます。例えば眼根が色塵に触れる場合、まず色塵を受け入れた後、色塵を知り、さらにこの色塵を執取して、考え、打算、計画、籌謀などを生じさせます。色塵を執取して初めて感受が生じ、その受は想の後に生起し、感受を得た後さらに思量を続け、その後微細に了別して決定し主宰し、どのように処理するかを求めます。処理する前に意根は必ずこの法を完全に執取しなければならず、執取する前には必ず明瞭に了別し、この法に対してまず受を持たなければなりません。受けた後は必ず一つの抉択が生じます。この抉択は思心所の作用であり、必ずしも最終的な抉択ではなく、未成熟で暫定的な抉択である場合もあり、その後さらに細かく了別して確信を得た後、最終的な抉択を下します。そうすると七識はこの法における運作を終了します。

この法における運作が完全に終了する前は、意根の思心所は相続不断に運作を続け、この法が完全に了別されるまで続きます。すべての思心所と五遍行心所が終了すると、次の法の運行に入り、五遍行心所法は新たな内容を運行し続けます。もしこの法が終了しなければ、触・作意・受・想・思は相続的に運行を続け、往復フィードバックし、不断に修正します。ちょうど私たちが物を見る時、初めて見た際にまず受け入れ、受け入れた後は明瞭に見ようとして了別します。最初はまだ明瞭に見えない場合、不断に触れ、不断に受け、不断に法を了知し、了知した後さらに苦楽の三種の受を生じさせ、その後この相を執取して抉択を下し、六識は業行を造作することになります。

——生如法師の開示
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