摩訶止観の原文:観を聞くこと多きは、日が焦げた芽の如し。即ち止を聞くべし。定水をもって潤す。或いは定を聞くこと久しく淹れば、芽の爛れて生ぜざるが如し。即ち観を聞くべし。風日をして發動せしめ、善法を現前せしむ。或いは時に覚を馳せ、一念住むべからず。即ち止を聞くべし。散心を治むるに。或いは沈昏朦朦として霧に坐するが如し。即ち観を聞くべし。此の睡熟を破るに。或いは止を聞くに豁豁たり。即ち専ら止を聞くべし。或いは観を聞くに朗朗たり。即ち専ら観を聞くべし。是れ自ら信行を修むる、八番の巧みなる安心なり。釈:心に法義を思惟観行することが多い時は、恰も太陽の光が萎えた若芽を照らすが如し。この時は思惟観行を止め、心を止息して定を修すべし。萎えた芽に水を注ぎ潤すが如し。心が定中に久しくある後は、水に淹れたる芽の如く、芽が腐れて再生せざるが如し。この時は寂止の定より心を動かし法義を思惟観行すべし。心に善法の功德が現れ増長するを、恰も風に吹かれ日光に照らされ、地水火風の栄養が均しく加わるにより芽が健やかに成長するが如し。修行の過程に於いて、覚観が奔放に馳せ、念頭が止まらず、心が躁ぎ善法の功德が消滅する時は、即ち定を修し心を止め、散乱攀縁心を対治し智慧の功德を生ぜしむべし。坐禅中に昏沈朦朧として霧中に在るが如く、心暗く智慧の利益生ぜざる時は、即ち法義を思惟観行し睡魔を打破すべし。定中に心清明に朗照するが日中の如き時は、引き続き一心に定を修し智慧水を生じ易からしむべし。観行の智慧が涓流の如く湧くを自覚する時は、引き続き専心に観行を修し智慧水の絶え間なき湧出を保つべし。これ即ち衆生が修行過程に於いて体得運用すべき八種の巧みなる安心法なり。定慧等持を極力実現し、偏り無く修せざれば成就を得難し。
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