舎利弗は輸屡那に告げた。「もし沙門や婆羅門が色について如実に知らず、色の集起を如実に知らず、色の滅を如実に知らず、色の味着を如実に知らず、色の禍患を如実に知らず、色の離脱を如実に知らないならば、彼は色を超越することができない。もし沙門や婆羅門が受・想・行・識について如実に知らず、識の集起を如実に知らず、識の滅を如実に知らず、識の味着を如実に知らず、識の禍患を如実に知らず、識の離脱を如実に知らないならば、この沙門や婆羅門は識を超越することができない。
もし沙門や婆羅門が色について、色の集起と滅、色の味着と禍患、色の離脱を如実に知るならば、この沙門や婆羅門は色を超越することができる。もし沙門や婆羅門が受・想・行・識について、識の集起と滅、識の味着と禍患、識の離脱を如実に知るならば、この沙門や婆羅門は識を超越することができる。」
ここでいう如実知とは、単なる知識的理解ではなく、証得後の智慧を指す。「如実」という言葉は実際の状態と一致することを示し、実際の状態を知るには自ら証得しなければならない。修行者は五蘊の集起・味着・禍患・離脱を自ら証得してこそ、五蘊の生滅を超越し解脱を得ることができるのである。
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