衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年10月28日    月曜日     第1 回の開示 合計1992回の開示

死後、意識がないときに悟りを開くことは可能でしょうか

第七識と第八識のみが存在し六識が無い状態は次の場合に生じる:昏倒して意識を失った時、夢無き睡眠中、無想定に入った時、滅尽定に入った時、死後中陰身が未だ生起しない時。最後の状態では六識だけでなく五蘊も存在せず、ただ七・八の二識のみが存在する。この二つの識心は形相無く、通常人の第七識は茫然自失の状態にあり、新たな五蘊身を求め急ぎ依り所とする。仏がこの時の七・八二識を発見し得るか?知る由も無し。第七識は第八識無くして単独存在できず、第八識は第七識無くして如何なる法も運行できず、涅槃の状態にあって仏も第八識を発見し得ない。二つの識が和合して共同運作する時初めて人に発見されるが、通常人はこれを認識し得ない。

五蘊と六識が無く七・八二識のみの状態で悟りを開くことが可能か?それは誰が悟り、何を悟るかという問題を明らかにせねばならない。悟りとは当然妄心の悟りであり、第八識を悟得することである。六識も五蘊も無いこの状態で妄心は第七識のみ存在する。第七識が単独で悟ることができるか?仏陀にこの能力あるを除けば、八地以上の菩薩は悟り得るかもしれぬが、その他の者は困難を極め、凡夫は絶対に不可能である。意根の弁別力は極めて低く、意識の補助無くして意根単独では六塵を明瞭に弁別できず、まして最も微細なる第八識においてをや。

七・八識のみ存在し六識五蘊無き状況下では、第八識はただ第七識の存在を維持するのみで何らの法も運行せず、第八識を証するにはその運行上に於いて証せねばならない。第八識が運行しなければ第八識を証すること叶わず、涅槃の中の第八識は仏も証し得ない。五蘊は存在するが六識無き場合、七・八識のみ存在する状態で第八識を証得できるか?全く不可能である。

——生如法師の開示
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