第七識と第八識のみが存在し、六識が現れない状況は次のような場合に生じます:意識不明の昏睡状態、無夢の睡眠中、無想定に入った時、滅尽定に入った時、死後中有身が未だ生起しない時。最後の状況では六識だけでなく五蘊も存在せず、ただ七・八の二識のみが存続します。この二つの識心は形相なく、通常人の第七識は朦朧とした状態にあり、新たな五蘊身を求めて急き込んでいます。仏陀はこの時の七・八識を感知できるのでしょうか?定かではありません。第七識は第八識なくして単独で存在できず、第八識は第七識なくして如何なる法も運行できず、涅槃の状態にあって仏陀すら第八識を感知することはできません。二つの識が和合して共同で作用を及ぼす時に初めて感知可能となりますが、凡夫には到底認識できないものです。
では五蘊も六識もなく、ただ七・八識のみが存在する状況において悟りを開くことは可能でしょうか。それは「誰が悟るのか」「何を悟るのか」という問題を明らかにする必要があります。悟りとは当然ながら妄心が悟るものであり、第八識を悟得するものです。六識も五蘊も存在しないこの時、妄心は第七識のみとなります。第七識が単独で悟りを得ることは可能でしょうか。おそらく仏陀にこの能力があるほか、八地以上の菩薩ならば悟り得るかもしれませんが、他の者には極めて困難で、凡夫には絶対に不可能です。意根の弁別力は非常に低く、意識の補助なしに意根単独では六塵を明瞭に弁別できず、まして最も微細なる第八識においてはなおさらです。
七・八識のみ存在し六識五蘊がない状況下では、第八識はただ第七識の存在を維持するのみで、何ら法を運行することはありません。第八識を証得するには、第八識が作用している状態において証する必要があります。第八識が作動していなければ証得できず、涅槃の中にある第八識は仏陀ですら証することができません。では五蘊は存在するが六識がない状況、つまり七・八識のみが存在する場合、第八識を証得することは可能でしょうか。根本的に不可能です。
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